『インストール』
綿矢りさのデビュー作を映画化。女子高生に上戸彩、小学生に神木隆之介。二人で始める怪しいバイトとは。
公開:2004 年 時間:95分
製作国:日本
スタッフ 監督: 片岡K 脚本: 大森美香 原作: 綿矢りさ 『インストール』 キャスト 野沢朝子: 上戸彩 青木かずよし: 神木隆之介 コウイチ: 中村七之助 モモコ先生: 菊川怜 野沢毬恵: 田中好子 青木かより: 小島聖 雅: 井出薫
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
学校生活を放棄した朝子(上戸彩)。ある時、風変わりな小学生・かずよし(神木隆之介)と出会った朝子は、彼に風俗チャットのバイトを勧められる。
やがてそのバイトは二人の日課となり、怪しげな世界にのめり込んでいく。
今更レビュー(ネタバレあり)
女子高生と小学生が乗り出す怪しいバイト
綿矢りさの原作を上戸彩の主演で映画化。監督は本作がデビューの片岡K。
登校拒否を決め込む女子高生の朝子(上戸彩)がひきこもって自分の部屋を大掃除して大量廃棄、そしてマンションのごみ捨て場で彼女に出会い、PCをもらい受ける小学生のかずよし(神木隆之介)。
驚いたことに、少年はそのPCで風俗嬢になりすましてチャットをやるバイトを朝子に持ち掛ける。小学校に通っているかずよしには、日中にそれを代行してくれる手頃な担い手を探していたのだ。
こうして、朝子は図らずも、コンピュータと風俗というどちらもこれまで縁のなかった世界に、知らず知らずのめり込んでいく。
◇
原作は当時17歳で文藝賞を受賞した綿矢りさのデビュー作。女子高生作家が紡ぐ文章のみずみずしさと、描かれるのが押し入れで繰り広げる風俗チャットの世界という妙なギャップの面白さ。
実はこの原作を今更ながら初めて読んだのだが、世に出てから20年経過しても、今なお、その魅力は失われていない。
ところがだ、これが映画化されてしまうと、そのみずみずしい輝きは、すっかり失せてしまっている。どうしたことか。監督の片岡Kは、深夜枠のテレビ番組は得意でも、初の映画となると勝手が違ったか。
デビュー作に気負いすぎて、いろいろ挑戦した結果が空回りしたのなら共感できるが、なんだかどの絵も安易に撮りすぎているのか、監督の作りたいものが伝わらない。
女子高生作家の原作を、大人の男性監督が撮るのには無理があったのかもしれない。でも脚本は、朝ドラの傑作『あさが来た』の大森美香じゃないか。もう少し、手の施しようがあったのでは。
映画の中に躍動感がない
本作に物足りなさを感じた要因の一つは、登場人物の動きが乏しいことだ。
綿矢りさの映画化作品は、『勝手にふるえてろ』(2017)の松岡茉優、『私をくいとめて』(2020)ののん、『ひらいて』(2021)の山田杏奈、どの主人公も激しい感情表現と行動力があり、それがドラマを牽引する。
だが、本作の朝子は明朗な性格だが、けして感情的でもなく、見かけの割に行動も常識的でおとなしい。それは原作由来であるが、映画に変化を与えるためにも、監督は風俗チャットの場面以外では、もっとキャラクターを動かすべきだったのではないか。
部屋から出ても朝子は、かずよし(神木隆之介)とは公園の池のほとりで座っているだけだし、級友のコウイチ(中村七之助)とは時計塔の中で立ち話をするばかり。本作を会話劇にしてはつまらない。
せっかくの上戸彩と神木隆之介という逸材が活かしきれてない。というか、俳優の動きが止まっていて、作品自体に活気がなさすぎ。
ついでにいうと、このコウイチは朝子の片思いの相手で、担任教師のモモコ(菊川怜)と付き合っている謎の人物だが、映画の中では思いっきり浮いており、最後まで理解不能な存在だ。これでは中村七之助もうまく演じようがない。
彼の登場する舞台を学芸会の安っぽいセットのような時計塔の内部にしたのは、非現実感を出したかったのだろうが(理由は終盤に分かる)、これも奏功したとは思えない。
もっとエッジを効かせてよいのに
風俗チャットは本作のメインであるが、ここも『音効さん』の片岡Kなら、もっとマニアックに作りこめたのではないか。
例えばMacのマシン。Macintosh Color Classicを登場させてくれたのは嬉しい。今見ても、愛着のわく独創的なフォルムだ。でも、これといって、懐かしがって観れるネタはない。せっかく原作にはサッドマックやネットスケープなどといった懐古ネタがでてくるのだから、少しは拾って欲しかった。
この風俗チャットは、風俗嬢の雅(監督夫人の井出薫)が育児で日中忙しく、なりすましでチャットをしてくれる相手を募ったのを、かずよしが性別・年齢を偽って引きうけたもの。
その更に代行で朝子がチャットする面白味は伝わるものの、チャット相手の客(ヨシダ朝)になりすましが見抜かれそうになる場面は、原作のような緊迫感はなく残念。
◇
気力体力ともに漲っている女子高生の朝子が、何より貴重な時間をさいて、昼間から学校も行かずに風俗チャットに没頭していることの不条理。
それを自覚しながら、次第にのめりこんでいく部分が本作の面白味だが、映画はそれを独白させることで満足したのか、あまり映像で伝えようとはしない。
朝子が商品のようにハンガーで吊るされたり、国連会議に出て「生きる目標がない」と責められる等の遊び演出も一応あるが、生ぬるい印象だ。
さらに、Rita-iotaによるフワフワとした幻想的な曲とドタバタコメディのドラマに使われそうな軽快な曲の組み合わせも、ダルな雰囲気に拍車をかける。これらの曲調と作品はまったく合っていない(でも、ずっと耳に残るのは参った)。
朝子がゆっくりと静かな語り口で心情を独白するスタイルは、作品を過度に落ち着かせてしまう。上戸彩の声は優しいが、どこか『昼顔』で彼女が演じた不倫に苦しむ主人公を思い出させる。
メインの二人の掛け合いは楽しい
本作で拾い物だったのは、メインの二人。朝子役の上戸彩は『あずみ』に続く主演作となるが、雰囲気はガラッと変わり、今風(当時の)なメイクとヘアスタイルの女子高生。健康美と天然ボケが売りだろうか。演技の方向性は、その後の『テルマエ・ロマエ』に近いかも。
◇
彼女も若いと思ったが、更に驚きの若さ(幼さか)なのが、かずよし役の神木隆之介。まあ、この頃から整った顔立ちと卓越した演技力。妙にまじめな優等生風なのに、ネカマとなって風俗チャットに足を踏み入れる小学生。なんと神木クンに似合う役なのだろう。
◇
映画はともかく、親の目を盗んで押し入れに入ってチャットに精を出す、この二人のやりとりは観ていて楽しい。
だが、それ以外の出演者の演技はあまりに安っぽいドラマ風で、見るに堪えない。これは俳優の演技力というより、演出の問題なのだろう。まるで陳腐なテレビドラマの劇場版のような作りだ。
美しい町並みが嘘くさい
テレビドラマならあまり気にならないのだが、映画となると、舞台となるロケ地や部屋がきれいすぎることで嘘くさく見えてしまうことがある。
例えば本作が撮影されたマンションと戸建て住宅が一体になった欧風の街並み。南町田に近いマークスプリングスという市街地で、よく撮影に使われていた気がする。
ここは照れくさくなるほど美しい町並みだが、この物語の舞台としては瀟洒すぎやしないか。朝子が家財を粗大ゴミとして廃棄する場所も、クリーンすぎて現実味がない。朝子の家もかずよしの家も、部屋の中が美しすぎて生活感がない。
◇
終盤になって、コウイチが既に交通事故死していて、朝子はその妄想と時計塔の中で話をしていたといったというオチが明かされるが、正直、まったく心に訴えてこない。
きちんとドラマを作っていれば、ここは違った結果になったと思うが、コウイチは全くの犬死になってしまっている。
綿矢りさの原作の面白味が、ほぼ失われてしまった気がする。チープなコメディのようなテーマ音楽だけが頭に残る。
「ダメだったら、また初期化してインストールすればいいんですよ」
誰かかずよしの声に従って、再映画化に挑戦してくれないかなあ。