『さらば愛しき女よ』
Farewell, My Lovely
チャンドラーの同名原作の映画化。私立探偵フィリップ・マーロウをロバート・ミッチャムが演じる。
公開:1975 年 時間:95分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: ディック・リチャーズ 脚本: デイヴィッド・ゼラグ・グッドマン 原作: レイモンド・チャンドラー 『さらば愛しき女よ』 キャスト フィリップ・マーロウ: ロバート・ミッチャム ヘレン・グレイル: シャーロット・ランプリング ムース・マロイ: ジャック・オハローラン ナルティ刑事部長: ジョン・アイアランド ロルフ刑事:ハリー・ディーン・スタントン ジェシー・フロリアン:シルビア・マイルズ レアード・ブルネット:アンソニー・ザーブ ニック: ジョー・スピネル ジョニー: シルヴェスター・スタローン
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
1941年、ロサンゼルス。私立探偵フィリップ・マーロウ(ロバート・ミッチャム)は、銀行強盗をした大男ムース・マロイ(ジャック・オハローラン)から、別れた女性ヴェルマの捜索を依頼される。
マーロウはわずかな手掛かりをたどってヴェルマの行方を追うが、この件に深く踏み込むほどに周囲で次々と殺人が起きていく。
やがてマーロウは美しい富豪夫人ヘレン・グレイル(シャーロット・ランプリング)と捜索中に出会う。
今更レビュー(ネタバレあり)
ちょっと老けてるけど、いい感じのマーロウ
レイモンド・チャンドラーの『さらば愛しき女よ』を、ディック・リチャーズ監督により映画化。フィリップ・マーロウの長編小説の二作目にあたる。
つまり原作でのマーロウはまだ相応に若くて動きにキレのある年齢設定ではないかと思うのだが、本作でマーロウを演じているのは撮影時には60歳近かったはずのロバート・ミッチャム。
がっちりとした体格のタフガイ俳優として知られるミッチャムは、前作『三つ数えろ』でマーロウを演じたハンフリー・ボガートよりはだいぶイメージに合っていると個人的には思うものの、さすがに身体を張って日銭を稼ぐ私立探偵にしては、貫禄がありすぎる。
◇
ただ、派手なアクションのないハードボイルドだと思えば、このロバート・ミッチャムのマーロウはなかなか愛嬌があって憎めない。マーロウお得意の気の利いた台詞にも、真面目イメージのボギーと異なり、違和感がない。
なお、ロバート・ミッチャムは本作の公開後、原作の発表順とは逆行するが、『大いなる眠り』(1978、マイケル・ウィナー監督)でもマーロウを演じている。
妖艶なシャーロット・ランプリング
刑務所から出てきたばかりの大男ムース・マロイ(ジャック・オハローラン)は、別れた踊り子の恋人ヴェルマを探しに酒場フロリアンを訪ねるが、酒場の主が何も答えようとしないので逆上して、殺人を犯し逃亡する。
仕事で現場に居合わせたフィリップ・マーロウは、マロイから、ヴェルマを探すように依頼される。
不遇な目に合っている誰かに情けをかけて、つい厄介な事件に巻き込まれてしまう。そういうパターンの出来事がマーロウにはよく起こる。
◇
ヴェルマ探しを進めるうちに出会う、町の有力者グレイル判事の妻・ヘレン(シャーロット・ランプリング)。彼女が今回、事件に華を添える美女ということになる。
シャーロット・ランプリングの映画など、ここ十年くらいの作品しか観ていなかったので(最近作は『DUNE』で誰よりも怖そうな老女役か)、50年近く前の作品での妖艶さには圧倒される。思えば、あのトップレスにサスペンダーとナチス帽の『愛の嵐』(1975)の頃である。
ところで、本作の邦題は『さらば愛しき女よ』と読ませるわけだが、同じシャーロット・ランプリングによるイタリア映画『さらば愛しき人』(1971)というのもあり、また、邦画では郷ひろみの『さらば愛しき人よ』(1987、原田眞人監督)なるアクション映画も登場する等、複雑な事態となった。
原作との差異
本作の事件の展開は、『大いなる眠り』ほど複雑でも説明的でもない。そうはいってもぼんやり見ていると、事件の流れがよく分からなくなる程度には入り組んでいるが。原作には大筋では忠実だが、結構差異は多い。
原作では結構重要なキャラである、元警察署長の娘アン・リオーダンは本作では一切登場しない(おそらくヒロインはグレイル夫人だけで十分だから)。おかげで、彼女との色恋沙汰はなくなった。
◇
霊能力者の男だったアムサーは、映画では謎の太った盗賊の棟梁のような女になっている。このアムサーは、マーロウに往復ビンタして麻薬中毒にしてしまうほどの怪力女で、なんなら大男のムース・マロイよりもおっかなく見える。
この女の手下のひとりが、売り出し中のシルヴェスター・スタローン。映画オリジナルキャラだが、なぜか淫行のすえ、激昂してアムサーを射殺する。ここは意味不明な展開で、スタローンが売れる前にしては、不自然なほど目立つ役がもらえている。
本作は時間的な制約から、原作のキャラを減らしたり、終盤で豪華クルーザーに乗り込んで暴れるまでの展開をだいぶ端折ったりと、工夫のあとがみられる。
マーロウの映画化作品のなかでは、比較的評価の高い作品といわれているようで、特に異論もないのだが、ひとつだけ違和感を覚えた点がある。
◇
原作では、はじめに殺意なく怪力で店主を殺してしまったマロイは、そのまま姿を消す。
警察はその行方を探し、またマーロウは、ナルティ刑事部長(ジョン・アイアランド)に頼まれたことと、ちょっとした好奇心から、ヴェルマを探し始める。そして、終盤まで殆ど姿を見せないマロイという純朴な男に、マーロウは次第に親近感を抱いていくのだ。
それが、映画では、マロイが殺人を起こした直後、そばにいた探偵のマーロウに、ヴェルマを探してくれないかと仕事を依頼する。これがひっかかっている。これでは、ヴェルマ探しも、マロイへの肩入れも、たんに相手が依頼人だからという風に見えてしまい、何とも味気ない。
ジョー・ディマジオの時代
以下はネタバレになるが、マーロウが、ヴェルマの歌っていた店の元オーナーの妻でアル中のジェシー・フロリアン(シルヴィア・マイルズ)を訪ねた際、彼が渡した名刺は酒のグラスのコースター代わりに使われる。
後日、殺されてしまう依頼人のマリオットというジゴロが持っていたマーロウの名刺に、なぜかこのグラスの跡がついている。そこから、探偵は、この二人の繋がりに気づくのだ。
これは原作ではあまりイメージが浮かばなかったが、映画ではうまいこと表現できている。
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本作は1941年という時代設定から市民の話題は戦争ばかりかと思えば、映画ではうまい具合にヤンキースのスーパースター、ジョー・ディマジオの話題を採り入れている。
この年、ディマジオは56試合連続安打という不倒の記録を樹立しており、それが映画の中でも登場する。
はじめにつかまされたヴェルマの写真は偽物だということは、早い段階で明かされるが、ではヴェルマはどこにいる誰なのかという点は、現代のミステリーやドラマの表現に比べると、相当に淡泊で物足りなく描かれている。
結局、ムース・マロイはヴェルマにまんまと騙されていたことも知らず、何年も彼女を獄中で思い続け、人を殺した挙句、自らも最後には銃弾をぶち込まれるという、あわれな男なのだが、マーロウの存在がその惨めさを緩和してくれる。
アラは随所に目立つが、全体を通じてジャズのナンバーもハードボイルドのそれらしくキマっており、シリーズの中では拾い物といえるのかもしれない。