『THE BATMAN ザ・バットマン』
The Batman
マット・リーヴス監督の手でバットマンが再始動。トリロジーよりもダークな作品だなんて、ありえない。
公開:2022 年 時間:176分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: マット・リーヴス キャスト ブルース・ウェイン / バットマン: ロバート・パティンソン セリーナ・カイル / キャットウーマン: ゾーイ・クラヴィッツ エドワード・ナッシュトン / リドラー: ポール・ダノ ゴードン警部補: ジェフリー・ライト ファルコーネ: ジョン・タトゥーロ オズ・コブルポット / ペンギン: コリン・ファレル アルフレッド・ペニーワース: アンディ・サーキス コルソン検事: ピーター・サースガード アーカム囚人: バリー・コーガン
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
両親を殺された過去を持つ青年ブルース(ロバート・パティンソン)は復讐を誓い、夜になると黒いマスクで素顔を隠し、犯罪者を見つけては力でねじ伏せる「バットマン」となった。
ブルースがバットマンとして悪と対峙するようになって二年目になったある日、権力者を標的とした連続殺人事件が発生。史上最狂の知能犯リドラー(ポール・ダノ)が犯人として名乗りを上げる。
リドラーは犯行の際、必ず「なぞなぞ」を残し、警察やブルースを挑発する。やがて権力者たちの陰謀やブルースにまつわる過去、ブルースの亡き父が犯した罪が暴かれていく。
レビュー(まずはネタバレなし)
まさか新作ができようとは
クリストファー・ノーラン監督による『ダークナイト』トリロジーの完成度の高さに、バットマンの新作は、『ジョーカー』のようなスピンオフを除けば、もう登場しないのだろうと勝手に思い込んでいた。
だが、本作は紛うことなき本流の新作であり、若き日のブルース・ウェインを描いている。それも、新たにロバート・パティンソンを主役に抜擢し、176分もの長尺にいきなり投入するとは度胸がいい。
◇
監督はマット・リーヴス。『クローバーフィールド』シリーズの流れから、ゴッサム・シティをパニックに陥れてくれそうな気配濃厚。この監督は、『猿の惑星』でも『モールス』でもそうだったが、ヒットしたオリジナル作を換骨奪胎することに長けている。
過去作の良さを残して、自分なりのテイストに仕上げているのだ。本作もその例に漏れない。ペンギンやリドラーといった悪役キャラの登場からすると、直接的に流れを汲んでいるのは、『ダークナイト』三部作よりも、それ以前のティム・バートン版シリーズといえるか。
Darker than Dark Knight
ただ、主役は勿論、悪役キャラの見かけも言動も、ひたすら暗鬱としている。『ダークナイト』トリロジーより暗くて重いノワールなアメコミ・コスチュームヒーローものは、映画として成り立たないと思っていたが、本作はそれを越えるダークさだ。たまげた。
『ダークナイト』と比べてみよう。ロバート・パティンソンのブルースはクリスチャン・ベールのような笑顔も爽やかさも封印し、ランボルギーニを派手に乗り回したりもしない。
マイケル・ケインの執事アルフレッド・ペニーワースはアンディ・サーキスに代わったが、ウィットに富む軽妙なジョークもない。モーガン・フリーマンが演じていた技術開発担当のルーシャス・フォックスが登場しないことも、作品を重くしている。
◇
私は『ダークナイト』のビターな雰囲気の中で時おりコミックリリーフとなる彼らの存在が好きだったので、本作の苦味一辺倒の展開(それも3時間)は、やや疲れたのが正直なところ。
タクシードライバーかセブンか
とはいえ、真面目にゴッサム・シティを舞台に新作を撮ろうという姿勢は好ましい。安易に低俗なコスプレ映画を量産されるより、余程嬉しい。
本作、特に前半、雨の降り注ぐゴッサム・シティで、世直しのために町の悪党を成敗するブルース。バイクを走らせながら、この町を憂う独白が続く。まるで『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ監督)の主人公だ。
◇
映画はリドラーと名乗る連続殺人犯が、ドン・ミッチェル市長を殺害する事件から始まる。事件現場を捜索するバットマンは警察官らに白い目で見られている。
どうやらまだ、公認ヒーローではない正体不明の人物なのだ。理解者は、互いに信頼し合うジェームズ・ゴードン警部補(ジェフリー・ライト)のみ。
市長の死体には”No More Lies.” 犯人は現場にメッセージと謎解きを残す。
DCのヒーロー映画でありながら、犯人とのなぞなぞ勝負で事件を推理していき、その間に次々と社会の敵が殺されていくというサスペンス展開。
まるでマスクをかぶった『セブン』(デヴィッド・フィンチャー監督)ではないか。今回、モーガン・フリーマン出てないけど。
超人の出ないヒーローもの
バットマンはもともと心身を鍛えたブルースが、特殊素材のスーツを着て悪と戦っている、基本生身の人間である。それがこのキャラの持ち味でもある訳だが、本作においては彼のマスクとスーツを除けば、ほぼSFヒーロー映画っぽい要素はない。
ペンギン(コリン・ファレル)もリドラー(ポール・ダノ)もみな、見た目は普通の人物だ(しかも屈強そうでもない)し、これといったガジェットも登場しない。
バット・モービルもさほど威圧感がないし、ブルースが空を飛ぶ姿もムササビのようでイマイチ頼りない(墜落するし)。アクションを観る分には、キャットウーマン(ゾーイ・クラヴィッツ)が誰よりもサマになっている気がする。
◇
怪獣のでない怪獣映画が『クローバーフィールド』ならば、超人ヒーローのでないアメコミ映画が本作。さすがマット・リーヴス監督らしい。
なので、この作品は、DCヒーローものというよりも、かつて名士だった父を殺され孤児となり屈折した若者が、復讐と世直しを誓う社会派ドラマとして向き合うのがいいのかもしれない。
コウモリのマスクはおまけみたいなものだ。それならば、本作には見応えがある。
キャスティングについて
ブルース・ウェイン役のロバート・パティンソンは、本家『ダークナイト』のクリストファー・ノーラン監督による『TENET』で未来からきた若者を演じている。
本作も当然あの爽やかクールガイ路線なのだと思ったら大間違い。しかもなかなかマスクをはずさず、主人公のご尊顔を拝めるのは、しばらくたってから。
それもほとんどはヒゲ面の悲壮な面持ち。本作のロバート・パティンソンは、むしろ『ライトハウス』(ロバート・エガース監督)の偏屈男のイメージに近い。
ゾーイ・クラヴィッツ扮するキャットウーマンは、親友女性の失踪を機に本作に絡んでくるが、ブルースとは比較的初期のコンタクトから、いい雰囲気を醸している。
露出度の高い衣装を着てクラブで働く登場シーンは、まんま『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』のミュータント役と同じなので、つい羽が生えて空を飛ぶのかと思った。
執事アルフレッド役のアンディ・サーキスは『猿の惑星』のシーザーや『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラム、『GODZILLA ゴジラ』などでモーションキャプチャを担当し、DC作品では『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』を監督するなど多才な人物。本作では、ちょっと出番が少なかったか。
ジェームズ・ゴードン警部補には、007シリーズのCIAエージェントとして常連のジェフリー・ライト。犯人を殴り殺そうと暴走するバットマンを制するなど、本作での存在感大。
リドラー役のポール・ダノは、それらしい風貌とは最もかけ離れている、おとなしそうで暴力とは無縁の非モテ系キャラ。彼の逮捕シーンでは、ちょっと『プリズナーズ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)のオタク青年を思い出してしまった。
あと、ペンギンを演じていたちょっと恰幅の善いオヤジがコリン・ファレル。面白いことに、映画の終盤にリドラーと刑務所で知り合う牢獄の隣人が、およそ英雄キャラではないマーベル映画『エターナルズ』(クロエ・ジャオ監督)の異端児、バリー・コーガンなのだ。
この二人って、『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(ヨルゴス・ランティモス監督)の因縁の仲ではないか。ペンギンもリドラーもまだ生きているから、次回作では絡むのかも。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
なぞなぞから洪水パニックまで
“what does a liar do when he’s dead?”(死んだ嘘つきがつくのは?)
初めの市長殺害で、リドラーが出してきたなぞなぞ。ブルースが出した正答は
“He lies still.”(動かぬ嘘)
これは日本語訳が苦しい(頑張ってるけど)。日本語ではどういうオチなのか分からないが、英語的にはlieとstillで二重にひっかけているのだろう。つまり、「(死んでいるから)じっと横たわったまま」と「まだ嘘をついている」だ。
このように、リドラーの謎解きの面白味は、英語圏以外にはちょっと伝わりづらい。
◇
最後の最後でようやく解明できたリドラーの計画。複数個所の堤防を同時に決壊させて、ゴッサム・シティに洪水をおこし、更に市民の避難集中するであろうセンターに、総攻撃をかける。
この大量の水が都市に流れ込むシーンは、なかなかの迫力だった。『ダークナイト』でも、ここまでゴッサム・シティの壊滅感は出せていなかったのではないか。
復讐心からは何も生まれない
ブルースは復讐心に燃えて今日まで生きてきた。裕福な彼とはだいぶ境遇も異なるが、同じ孤児として育ってきたリドラーもまた、再開発などという嘘だらけの公約に絶望し、そのツケを当事者たちに支払わせようと、復讐心に燃えていた。
刑務所の面会室で、ブルースとリドラーは対面する。リドラーはブルースを同志と見ていたが、ブルースは彼を拒絶した。ともに世直しを標榜するが、その方向性にも手段にも共闘の余地はない。
結局、復讐心では何も解決しないし、希望を生まない。だからブルースは心を入れ替える。一旦は平和が戻ったようにみえるゴッサム・シティ。だが、まだ何も解決していない。