『スローターハウス5』
Slaughterhouse-Five
カート・ヴォネガットの異色SF小説にジョージ・ロイ・ヒル監督が挑んだ野心作
公開:1972年 時間:104分
製作国:アメリカ
スタッフ
監督: ジョージ・ロイ・ヒル
原作: カート・ヴォネガット
『スローターハウス5』
キャスト
ビリー・ピルグリム: マイケル・サックス
ポール・ラザロ: ロン・リーブマン
エドガー・ダービー: ユージン・ロッシュ
モンタナ: バレリー・ペリン
バレンシア: シャロン・ガンス
バーバラ: ホリー・ニアー
ロバート: ペリー・キング
ウィアリー: ケヴィン・コンウェイ
スタンリー: ゲイリー・ウェインスミス
勝手に評点:
(一見の価値はあり)

コンテンツ
あらすじ
第2次世界大戦後、実業家として成功をおさめたビリー・ピルグリム(マイケル・サックス)。
自らの意思と関係なく自分の過去・現在・未来をとびまわるようになった彼は、戦争での捕虜体験、飛行機の墜落事故、ドレスデンでの大空襲など、さまざまな出来事のなかをさまよう。
今更レビュー(ここからネタバレ)
カート・ヴォネガットの奇想天外SF
これは第二次大戦を描いた戦争映画のようでいて、主人公がめまぐるしく時空を行き来するSF映画なのである。
ジョージ・ロイ・ヒル監督は、こんな奇想天外な作品も手掛けていたのかと思うが、しっかりカンヌ国際映画祭審査員賞を獲得している。
◇
何の予備知識もなく映画をみると、この破綻したようなストーリーは一体何なのだと拒絶反応を示すことになると思う。
だが、カート・ヴォネガットの代表作ともいえる同名原作は、映画以上に激しく時空を過去未来と飛び回り、読者を煙に巻く。
私は一度、原作を途中で投げ出して、映画を観てから再読した。おかげで読了できたが、そこで到達した結論は、ジョージ・ロイ・ヒルは原作をきちんと映画に焼き直しており、しかも分かりやすいということだ(あくまで原作との比較において)。
現在・過去・未来を飛び回る
主人公はビリー・ピルグリム(マイケル・サックス)。
- 午前中は米軍に従軍し対独戦線にいたかと思えば
- 午後には現代の米国で大富豪の太った娘バレンシア(シャロン・ガンス)と結婚し子供も生まれ、幸福な家庭生活を過ごし
- そうかと思えば、ドイツ軍の捕虜となってドレスデンの収容所に送り込まれて、悲惨な目に遭い
- トラルファマドール星から来た異星人に誘拐され、その星にあるガラス張りの檻の中で衆人環視のもと、ポルノ女優のモンタナ(バレリー・ペリン)と濃密な同棲生活を送る。
タイムトリップもののカテゴリーとしては異端だ。ビリーは狙ってどこかの時空に飛んでいくのではない。
本人の意思とは無縁に、唐突に自分の人生の中の生まれてから死ぬまでの間の無作為抽出したような場面にトリップしてしまうのだ。
◇
これは、時間軸を加えた4次元の世界を生きているトラルファマドール星人の影響を受けているからであって、この異星人にとって、時間軸は過去も未来もなく、全て同時に把握できているらしい。
それはすなわち、歴史をいじれないということでもあり、現に彼らは、自分たちがある実験で失敗することでこの世が終わることを知っていながら回避することができない。
そんなトラルファマドール星人の生活信条は、「楽しい思い出だけで生きていこう」、だ。
ドレスデンの空爆
『スローターハウス5』とは、ビリーたち米国人捕虜が収容されたドレスデンの施設で、文字通り、元は家畜の屠殺場だったところだ。
「シュラフトホーフ・フュンフ」彼らはドイツ兵に、独語の施設名を叩きこまれる。
ドレスデンには軍需施設はなく、歴史ある安全で美しい町というのが共通理解だった。だが、そこを突如、米軍の絨毯爆撃が襲う。
◇
映画にも登場するが、広島の被害を上回る規模の攻撃と表現されている。
この表現は広島の被爆を矮小化したものに思えるが、重要なのはそこではなく、重要軍事拠点でもない、多くの市民が暮らすドレスデンを米軍が無差別攻撃したという点だ。
自軍に攻撃されたビリーたちはどうにか防空壕で難を逃れるが、地上に出ると、町は壊滅し美しい文化都市は焼野原になっている。米軍のやり口はどこでも同じだ。
このように悲惨だった戦争を題材にしたドラマを、ハチャメチャなSF仕立てにしていいのか、まずはそう感じる。
現に原作は、反社会的、猥褻、不適切な言葉遣い等でしばしば図書館や学校から排除されてきた。一方、この本を読む権利を訴える者も必ずおり、まるで有川ひろの『図書館戦争』のようになっている。
◇
だが、原作者のカート・ヴォネガットはドイツ系米国人としドイツ戦に参戦し、捕虜としてスローターハウスに収容され、ドレスデン空爆で町全体を失うのを目の当たりにしているのだ。
ビリーと同じような境遇だった彼自身が、軽い気持ちでこの作品を書くはずがない。
戦争の愚かさを、正攻法で書き上げるのも一案だが、SF作家であるヴォネガットは、ブラックユーモアで全てを包み込んでしまう手段を選んだのかもしれない。
実際、この作品のおかげで、それまで明るみにでていなかったドレスデン空爆の蛮行が、世に知らしめられたという。
これで、いいのだ
現代においてビリーは、義父らライオンズクラブの面々と乗ったチャーター機の墜落を予見し、離陸しないよう騒ぐが、結局予定は変えられず、飛行機は墜落しビリーだけが生き残る。
以来、彼はトラルファマドール星人同様、運命に抗うことをやめる。
そしてフィラデルフィアで講演中に、本人の予言通り、従軍時代から因縁のあったラザロ(ロン・リーブマン)に射殺され人生を終える。
でも彼は悲嘆していない。だってその後も時空を戻り、終戦を祝い、トラルファマドール星で愛人モンタナに子供を産ませ、幸福な時間を渡り歩くのだから。
- 時間の概念を超越する『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)
- 時間が逆行する『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(デヴィッド・フィンチャー監督)
- 異星人が私生活を見物している『トゥルーマン・ショー』(ピーター・ウィアー監督)
等、この映画がその後の作品に影響を与えているのかもと勝手に想像。
なお、原作には星の数ほど登場する「そういうものだ(So it goes.)」 という台詞は、映画には使われない。
あれは小説だから機能する、ちょっとシニカルな表現であって、映画で同じように使うのは難しそうだ。
この名台詞抜きでも同じ世界観を構築できているのは、ジョージ・ロイ・ヒル監督の手腕なのだろう。また、本作はグレン・グールドが映画音楽を手掛けている貴重な作品でもある。
結局、意味不明な作品だが、言葉にできない何かがあり、駄作と切り捨てられない。そういうものだ。