『それから』
그 후 The Day After
モノクロ映像とカメラワークに騙されてはいけないホン・サンスのブラックコメディ。
公開:2017 年 時間:91分
製作国:韓国
スタッフ
監督・脚本: ホン・サンス
キャスト
ボンワン社長: クォン・ヘヒョ
ソン・アルム: キム・ミニ
イ・チャンスク: キム・セビョク
社長夫人: チョ・ユニ
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
アルム(キム・ミニ)は大学教授の紹介で、著名な評論家でもあるボンワン(クォン・ヘヒョ)が社長をつとめる小さな出版社に勤めることになった。
社長は妻(チョ・ユニ)に浮気を疑われており、アルムの出社初日に社長夫人がやって来て彼女を夫の愛人だと決めつける。
その夜、社長の本当の愛人である前任者チャンスク(キム・セビョク)がひょっこり戻ってきたことから、事態は思わぬ方向へ転がっていく。
今更レビュー(ネタバレあり)
文芸作品のようだが、中身はまるで違う
日本でもファンの多いホン・サンス監督なのだが、最初に観た『正しい日 間違えた日』(2015)が個人的にはまったく感性に合わず、それ以来何年も食わず嫌いが続いていた。
本作はそんな経緯で久々のホン・サンス監督作品だ。私にとっては悪夢のような『正しい日 間違えた日』だが、そこから公私ともに監督のミューズとなるキム・ミニの出演作である。
不吉な予感はしたものの、監督はこういう人間の醜くて愚かしいところを切り取るのが好きなのかも、と割り切ることで、思いのほか楽しく観られた。
モノクロのシャープな映像と、テーブルを挟んで向き合って座る男女が延々と語り合う様子をカメラのパンで捉えていく<小津の魔法使い>的なカメラワークで、一見文芸作品のように見える本作。
だが、展開されるのは従業員女性との不倫話に振り回される零細出版社の社長の話であり、この中年男の様子が滑稽なほどぶざまに描かれている。
映画は、出版社社長のボンワン(クォン・ヘヒョ)があまりに早い時間に出勤するので、浮気を疑って問い詰める妻(チョ・ユニ)との会話から始まる。
「女ができたの?」という問いかけに何も答えず平然を装うシーンに、冒頭から緊迫感がハンパない。だって、妻役のチョ・ユニは、この橋本じゅんと見間違えそうなクォン・ヘヒョと実生活でも夫婦なのだ。追い込み方がリアルである。
ちなみに、韓国にはチョ・ユニという女優は二人いるようで、イ・ドンゴンと結婚・離婚したのは別人なので念のため(執筆時点、ウィキペディアのリンク先は間違っていた)。
別れた女 出会った女
早起きして会社に行ったコート姿の社長は、その日が初出社である新規採用した女性アルム(キム・ミニ)と対面し、言葉を交わす。
だが、その前に不思議なシーンが入りこむ。カジュアルなシャツ姿の社長が、愛人と思しき女性チャンスク(キム・セビョク)と夜の地下道で抱擁しあったり、公園でひとり泣き叫んだり。この構成はすぐには理解しにくい。
社長とそっくりな男がもう一人いて、そいつが不倫をしているということなのか、或いは、社長がいろいろな人生を過ごすマルチバース的な話なのか(それを疑うのは『正しい日 間違えた日』の後遺症だ)。
いろいろと想像を膨らますが、結局この社長は、数週間前に不倫相手のチャンスクに愛想を尽かされたが、別れた後に妻に浮気を疑われ、そして今日、出て行ったチャンスクの後釜に採用したアルムと初めて会ったということのようだ。
社長のほかに社員のいない零細企業に、美しいアルムが入社し、しかも社長の書く文芸評論が好きだという。すぐにいい気になって彼女を昼食に誘い、昼間から酒を飲み始める社長。ああ、安易なセクハラ展開が目に浮かぶ。
憐れ、キム・ミニはこんな軽薄中年に夢中になってしまうのか。そんなことを思っていると、午後に突如社長夫人が事務所に乗り込んできて、一人で留守番をしているアルムを見つけて「このアバズレ!」と頬をひっぱたく。
社長が以前にチャンスク宛てに書いた愛の詩をみつけ、会社に泥棒猫がいると睨んで、やってきたのだ。
◇
修羅場の事務所に戻ってきた社長があせって事態の収拾を図る。「今日が初出勤のアルムさんが浮気相手のはずがないだろ」と説明しても、謝罪ひとつしない妻の迫力。
うろたえる男に社長の威厳なし。この時点で、本作は恋愛ドラマではないことを確信。
コントのような展開
そして社長の威厳は、妻が去った後にもだだ下がり。
「社長の不倫相手の後任として雇われ、更に謂われのない誤解で奥さんには叩かれ、こんな怨念が籠っているような会社には勤められません」
社長に誘われた居酒屋でアルムはそう告げるが、口のうまい社長はうまく彼女を丸め込み、退職を思い止まらせる。だが、そこからの衝撃展開。なんとその居酒屋の外で、社長は別れた不倫相手のチャンスクと鉢合わせるのだ。
再会を祝して人目も憚らず抱き合っているところにアルムが登場。え、何これ、コメディだったの。まるで東京03の三人組のコントのような展開。
社長は女性二人を紹介し、気乗りしないアルムを強引に誘い三人でオフィスに戻り飲み直し。そこまではまだ許せるよしても(ダメ?)、何と社長はこうアルムに切り出すのだ。
「チャンスクが復職するし、二人も雇えないから、やっぱり今日一日で辞めてくれないか」
噴飯ものの前言撤回。そんな社長の下で働く気も起きず、アルムは出勤初日で会社を去る。
本当に漱石の『それから』なのか
それから数か月後に社長のもとを訪れる。すると、社長はもうすっかりアルムのことなど忘れており、それどころか、寄りを戻した筈のチャンスクまでも、また出て行ってしまったという。
別居中の妻が連れてきた娘をみて、「これからは娘のために生きよう」と即座に決心し、チャンスクと別れたそうだ。決断力のある男のように聞こえるが、巡り巡って気づいた答えがこれかよ、と突っ込みたくなる。
この太平楽な社長がアルムに別れ際に手渡すのが、夏目漱石の『それから』であり、これが映画のタイトルにもなっている。ただし、韓国語は分からなかったが、漱石の名はでても小説の題名は画面にも字幕にも登場しない。
ホン・サンスは本当に『それから』を選んだのかな。だって、あれは友人の妻になった不幸そうな女性を、夫から取り戻そうとする高等遊民の話だよ。本作に通底する部分は見当たらないことは、松田優作の『それから』を見ても一目瞭然だ。
まさか、本当に<それから>の話という意味だけで採用したのか。だとすれば大胆な話だ。
◇
書籍を登場させて、小説と同じ題名にしてしまえば、あとは監督が好き勝手に映画を撮ればいい。本作に感化されて、宮崎駿は『君たちはどう生きるか』を作ったのではないか、私は結構本気でそう睨んでいる。