『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』
ぬいぐるみと語るのが主な活動の大学のぬいぐるみサークルを舞台に、現代の生きづらさを描いた作品
公開:2023年 時間:109分
製作国:日本
スタッフ 監督・脚本: 金子由里奈 脚本: 金子鈴幸 原作: 大前粟生 『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』 キャスト 七森剛志: 細田佳央太 麦戸美海子: 駒井蓮 白城ゆい: 新谷ゆづみ 鱈山: 細川岳 光咲: 真魚 藤尾: 上大迫祐希 西村: 若杉凩
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
京都のとある大学に進学した男子学生・七森(細田佳央太)は、いわゆる男らしさ、女らしさを苦手に感じていた。
そんな折、入学式で同じ1回生の麦戸美海子(駒井蓮)と知り合った彼は、彼女と“ぬいぐるみサークル”に入る。そこは各々が好きなことをぬいぐるみに話しかけるという活動を主にするサークルだった。
心優しい先輩らと親しくなっていく七森は、麦戸と打ち解けていく一方、なぜか唯一ぬいぐるみと話さない1回生・白城ゆい(新谷ゆづみ)と交際を始めることに。
レビュー(若干ネタバレあり)
ぬいサーって微妙じゃないですか
『21世紀の女の子』の公募枠に選出され、初長編『眠る虫』で劇場公開を果たした金子由里奈監督の商業デビュー作。大前粟生の同名原作は未読である。
大学のぬいぐるみサークルを舞台にした、タイトル通りの<やさしい>映画である。というより、私には、やさしすぎる、繊細すぎる映画であった。
けして世間の評価は悪くないようだ。こういう繊細さが刺さる人々が多いのかもしれない。だが私には、このやさしさは薄味すぎた。まるで手術後の病院食のようだ。塩気が足らない。
本作の監督・脚本は金子由里奈・鈴幸の兄妹。私はその実父である金子修介監督の『平成ガメラ』や『デスノート』を観てきた世代だ。そのギャップのせいなのか、感性の違いなのか。
というわけで、以下、私の感じたことを素直に述べさせていただくが、本作の優しさに包まれることに心地よさを感じられる方もいると思うので、世の中には繊細でないヤツもいるのだとご容赦いただきたい。
◇
本作で何がダメって、この主人公・七森くん(細田佳央太)が入部する大学のぬいぐるみサークルである。
「ヤリサーなら知ってるけど、ぬいサーって何だよ」などという疑問がすぐに湧いてしまうが、オッサンの想像力では、せいぜい、ぬいぐるみを作る手芸同好会みたいなものかなというのが限界だ。
だが驚いたことに、このサークルでは、自分たちで作ったぬいぐるみを手に取り、話しかけることが主たる活動なのである。
部室には棚に並べられた大量のぬいぐるみたちが見つめかけてきて、部員は名前のついたお気に入りのぬいぐるみに、自分の心の中身を吐露するのだ。
七森クンは同じクラスの麦戸さん(駒井蓮)とそこに入部する。
世の中には難解で意味不明な映画も多く存在する。それが前衛的だったり芸術志向だったりというのならまだ話は分かる。
だが、本作にはきちんとしたストーリーもあるし、会話の内容だって意味が通じるのに、映画として伝えようとしているものが、私には、ほとんどと言っていいほど共感できなかった。
居心地はいいんだろうけどさ
七森クンが男らしさ的なものに違和感を覚えて苦しんでいるのも、麦戸さんがある出来事がきっかけに学校に行けなくなってしまうのも、理屈としては分かる。だが、それがぬいぐるみにしゃべる行為に結びつかない。
ぬいサーのルールはふたつ、人の会話を盗み聞きしないことと、ぬいぐるみを大切に扱うこと。それを遵守しながら、部員たちはそれぞれ個別にぬいぐるみに話しかけ、精神の安定を保っている。
これは相当、異質な世界だと私には思えてしまう。メンバーの一人が同性愛者だと知っても、ぬいサーの部員はまったく対応を変えない。だから、部室の居心地はよく、みんな、このサークルが好きらしい。
でもそれって、単に相手の土俵に踏み込まない無関心さと紙一重だ。私も大学時代、映画サークルの部室は居心地が良かった。だがみんな厚かましく人の懐に飛び込んできて、だからこその居心地の良さだった。
各自がぬいぐるみ相手に現実逃避するばかりの個人主義のぬいサーに、そのような結束は生まれるのだろうか。
大学生の頃ならいざしらず、いまやどうしても親の目線で本作を観てしまう。我が子がぬいサーの部室に入り浸っている姿は想像したくない。
本作で唯一、私が共感できたのは、七森くんと同じ一回生の白城さん(新谷ゆづみ)だ。彼女もぬいサーに入部するが、みんなとは一線を画している。
部室にはまめに来るし、学園祭に向けて着ぐるみの製作にリーダーシップを発揮するが、ぬいぐるみとしゃべらない。しかも彼女は、セクハラ系のイベントサークルも掛け持ちしており、冷静に現実と対峙している。
◇
みんなが優しいぬいサーは居心地がよいし落ち着けるが、実社会に出れば少なからず男社会のつらさに直面することは避けられない。だからそういう現実問題にも慣れておくために、自分はどっちのサークルも続けるのだ、と。
こういう生き方は正しくないのかもしれないが、強かに生きるとはそういうことだ。白城さんは逞しく凛々しい。
佳央太は町田くんと訣別しないのか
「お前、童貞だろ?」と飲み会で旧友にからかわれたことでブチギレしてしまう七森くんに、電車の中で痴漢被害に遭う女性を目撃したことで男性恐怖症に陥ってしまう麦戸さん。
そんな七森くんと麦戸さんを「優しすぎるんだよ」といい、二人を救い出すために自分はぬいぐるみとしゃべらない白城さんはやはりカッコいい。
七森くん役の細田佳央太は、繊細で純朴な若者をやらせたらピカイチだが、さすがにこの路線のキャラはもう食傷気味だ。
映画初主演の『町田くんの世界』からこっち、『子供はわかってあげない』や『線は、僕を描く』でも、同一人物ですかと思うような似たものキャラが多い。
七森くんが白城さんに「このままじゃ嫌なものになっちゃうよ」という場面なんて、『子供はわかってあげない』での細田佳央太の台詞「自分がいいものに見えてくるよ」の返歌かと思った。
麦戸さん役の駒井蓮の方は『いとみち』でのはじけた感じとは随分違うキャラだったので、こちらは変化が楽しめた。ちなみに、彼女は『町田くんの世界』では、細田佳央太が演じる主人公町田くんの妹役だったはず。
白城さん役の新谷ゆづみはアイドルグループ「さくら学院」の元メンバー。『さよならくちびる』の女性デュオの熱狂的なファンの役でちょっと出演したのがきっかけで、『麻希のいる世界』に初主演。
優しいだけじゃダメかしら
この作品が受け容れられる社会というのは、それだけ生きづらさを感じている人々が多いということなのだろう。
多様性の社会の中で、それを繊細すぎる、優しすぎると片付けてしまうのは乱暴だと思うが、着ぐるみを捨てて居心地のよい部室から一歩外に足を踏み出さなければ、解決に繋がらない。
◇
男らしさに違和感を持つ七森くんが、恋愛感情というものがよく実感できず、交際をしてみた白城さんを傷つける形になる。
「友だちとして好き」という台詞を七森くんも麦戸さんも使っているが、みんな男女の枠に縛られない関係なのだろうか。
終盤、七森クンは髪も金髪になり女性的になっていく。手芸部っぽいこともあり、『彼らが本気で編むときは、』の生田斗真のように見える。七森くんもトランスジェンダーだったのかとも思ったが、明確な答えはない。
細田佳央太の生真面目キャラは嫌いじゃなく、その路線を演じた作品は総じて出来が良かったのだが、本作は珍しく私とは相性が合わなかった。
彼がこの手のキャラを演じる時には、全体がコメディタッチであるべきなのだと思う。
本作はぬいサーの部員全員が優しく繊細で生真面目キャラだから、映画としては刺激に欠けるものになってしまった気がしてならない。
「優しいから生きていく資格はあるけど、タフでなければ生きられないぞ」と、探偵マーロウなら言うだろう。