『シャイニング』
The Shining
完璧主義者スタンリー・キューブリック監督がスティーヴン・キング原作で描くモダン・ホラー。
公開:1980 年 時間:143分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督・脚本: スタンリー・キューブリック 原作: スティーヴン・キング 『シャイニング』 キャスト ジャック・トランス:ジャック・ニコルソン ウェンディ: シェリー・デュヴァル ダニー: ダニー・ロイド ディック・ハロラン: スキャットマン・クローザース スチュアート・アルマン:バリー・ネルソン グレイディ: フィリップ・ストーン ロイド: ジョー・ターケル
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- スティーヴン・キングの不満も分かるし、原作を読めば映画のアラも見えるが、それでも巨大なホテルという閉鎖空間で一人の男が狂人と化す姿の描きようはモダン・ホラーとしては秀逸。
- ポスタービジュアルの構図も乱暴だが、一度見たら忘れられない。さすが偏屈者キューブリック監督の本領発揮。
あらすじ
冬の間は豪雪で閉鎖されるホテルの管理人職を得た小説家志望のジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)は、妻のウェンディ(シェリー・デュヴァル)と心霊能力のある息子ダニー(ダニー・ロイド)とともにホテルへやってくる。
そのホテルでは、かつて精神に異常をきたした管理人が家族を惨殺するという事件が起きており、当初は何も気にしていなかったジャックも、次第に邪悪な意思に飲みこまれていく。
今更レビュー(ネタバレあり)
モダン・ホラーの金字塔
スティーヴン・キングの同名原作をスタンリー・キューブリックが映画化したモダン・ホラーの金字塔。公開時にはその洗練され作りこまれた恐怖に戦慄を覚えたものだ。久々に観ても、ホラーとしての様式美と狂気の表現は色褪せていない。
本作は豪雪のために冬季は閉鎖される由緒ある巨大リゾートホテルに、管理人として住み込む小説家志望の男とその家族の惨劇を描いた物語である。
◇
冒頭、コロラド州のロッキー山上にあるオーバールック・ホテルに向かいビートルを走らせる三人家族。
運転するジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)と妻のウェンディ(シェリー・デュヴァル)そして幼い息子ダニー(ダニー・ロイド)。重低音でゆっくりと流れるシンプルな旋律が、恐怖感を早くも煽る。
ホテルは冬季の間、完全に外界からは遮断され、管理人は各部屋に暖房を入れるなどで、雪のダメージを抑制する。仕事自体は楽なものだが、完全な孤立と時間の持て余しに耐えられるか。
前任者は閉所恐怖症で精神をやられ、斧で妻と二人の娘を殺し、自殺したと支配人のアルマン(バリー・ネルソン)が説明する。だが、新作を執筆するつもりのジャックには渡りに舟の環境。すぐにこの職に飛びつき、一家はホテルに向かう。
◇
一方、何も説明されずとも、息子ダニーはこのホテルの不吉さを感じ、血の海のエレベーターや、二人の少女の姿が見えていた。彼には不思議な感知能力「シャイニング」が備わっているのだ。
ホテルに訪れる前から、ホラー映画としての期待値が高まってくる。
スティーヴン・キング吠える
完璧主義者のスタンリー・キューブリックの作品を前にして、原作者スティーヴン・キングはその内容を強く批判していた。怒りのあまり、後年に自ら監督してテレビドラマを撮ってしまったほどだ。
今回、スティーヴン・キングの長編三作目にあたる同名原作を初めて読んでみたのだが、なるほど、両者が目指しているものは微妙に異なる。
キングの書いた作品は当然にして相当な長編で、そこにしっかりとジャック・トランスの人物造型や、物語の中核になるはずのダニーの「シャイニング」の存在が描かれている。それに比較すると、映画はいわゆる怨霊ホラーに近い。
ただ、原作を知らない者には、怨霊ホラーに何ら不満はないし、そもそもホラーとして単純によく出来ているのだから、さすがキューブリック監督だと、感心してしまう。
まずはこの巨大なホテルが舞台装置として魅力的だ。宿泊客も従業員もみな立ち去ったあと、家族三人だけで暮らす城のような巨大な建物。そのスケールと寂寥感。夜の学校に侵入したかのような恐怖感。
食糧は潤沢に備蓄されているが、何か味気なく物寂しい、南極基地にいるような孤立感。建物がこれだけ巨大でも、閉所恐怖症になる心理状態がわかる。
そんな中で、我が物顔でカーペット敷きの廊下をカートで走り回るダニー(衣装も含めまるでマリオカートだ)。
コーナーを曲がると廊下の突き当りに佇む二人の少女の亡霊。けして入ってはいけない237号室。古い百貨店にありそうな装飾的なエレベーター。洗練された怖い材料があちこちに転がっている。
ダニーのイマジナリーフレンドであるトニーの存在も怖い。かつて父ジャックが息子を叱る際につい肩を脱臼させてしまった。それから現れるようになったトニー。
ダニーが人差し指を立てて声色を変えて喋るのだが、このトニーは後半、不気味な存在になっていく。この演出は、後のホラー映画に影響を与えたように思う。
◇
一方、父親のジャックははじめの数日は一生懸命新作小説の構想を練ってタイプライターに向かっているものの、次第に精神を病んでいく。
断酒していたはずが、いつの間にかホテルのラウンジに行くと、無人のはずのカウンターにバーテンダーのロイド(ジョー・ターケル)がいて、酒を飲むようになる。ゴージャスなバーでのロイドとのやりとりが異世界を感じさせる。
ジョー・ターケルの顔に見覚えがある気がしたが、『ブレードランナー』でレプリカントを開発した分厚い眼鏡のタイレル博士だった。
ジャックが次第にホテルの怨念にとりこまれ、禁断の237号室で入浴中の全裸美女を抱いたら腐乱死体の老女になっているシーンには背筋が凍る。ただ、内容的には古典的な怪談だ。
このあたりから酒におぼれ、徐々に狂人と化していくジャックの変貌は見応えがある。
狂気のジャック・ニコルソン
“All work ad no play makes Jack a dull boy” とジャックが繰り返しタイプした膨大な原稿がみつかる場面がいい。森田芳光監督の『家族ゲーム』で宮川一朗太が「夕暮れ」を完全に把握した時の手書き原稿用紙を思い出す。
ジャックが狂人と化し、ついには斧を振り回してドアを破って顔を突っ込み、逃げ隠れた妻に”Here’s Johnny!”という場面はポスタービジュアルとして秀逸。
ジャック・ニコルソンの顔芸は大したものだが、ただ、彼の場合まともな時も常人には見えない。本作でいえば、職を得てホテルに来た当初はもっと穏やかな顔つきでいた方が効果的だと思うのだが、序盤から只者ではない感じが強すぎる。
◇
なお、表情という点では、凶暴化するジャックよりも、平時から負のオーラが出まくっている妻のウェンディの方が余程怖い。シェリー・デュヴァルは相当キューブリックに演技指導で追い込まれたそうだが、それがあの斧に脅える恐怖の表情に如実に表れている。
原作では、動物のカタチに刈り込んだ植木が猛獣となって襲ってくるところを、映画では樹々でこしらえた巨大迷路という設定に変えている。これは良いアイデアだ。
当時の技術では猛獣を出す映像は嘘くさくなっただろうし、舞台演出の効果としても巨大迷路のほうがリアリティもあるし、何より怖い。
◇
また、ダニーが繰り返し唱える「レッドラム」という言葉は途中まで意味不明だが、終盤でダニーが壁に書いたREDRUMを鏡越しに見たウェンディがその意味に気づくシーンも、映像で見せられるため、原作より映画の方に分がある。
ただ、字幕のタイミングがイケてない。鏡文字になる前に種明かしをしてしまって興ざめだった。
ハロランの扱いが残念
さて、怨霊ホラーとして観れば、さすがはキューブリック監督の傑作となるのだろうが、スティーヴン・キングの原作をベースラインに映画を観ると、何だかストーリーが淡泊だしグズグズになっている印象が否めない。
最大に違和感があるのは、ダニーの良き理解者で同じ「シャイニング」能力を持つ、黒人の料理長ディック・ハロラン(スキャットマン・クローザース)の扱いだ。
ダニーの能力を見抜き、遠く離れたマイアミでダニーの危機的状況を感じ取ると、大急ぎで飛行機と雪上車を乗り継いでホテルへと馳せ参じる。
◇
原作では、厳寒のホテルまで危険を冒して駆けつけるハロランの苦労が丁寧に描かれ、最後には彼が母子をジャックから救出するのに大きな役割を果たす。だからこそ「シャイニング」のタイトルが付いている。
だが映画ではあろうことか、苦労して駆けつけたハロランは、ホテルのロビーで遭遇したジャックの斧の一撃で絶命するのである。
実は最近原作を読んだときに、なぜ私には映画で活躍したはずのハロランの記憶が殆どないのだろうと思っていたのだが、映画を観直して腑に落ちた。
映画でのハロランは、死んだことで母子に自分の乗ってきた雪上車を譲り渡すだけの役割になってしまっているのだ。これは気の毒すぎる。キューブリック監督は、あくまで母子が二人で勝利を手にする映画にしたかったのだろうか。
なお、ハロラン役のスキャットマン・クローザースはジャック・ニコルソンの代表作『カッコーの巣の上で』でも共演。
また、ダニー少年を演じたダニー・ロイドは、本作の約40年ぶりの続編映画になる『ドクター・スリープ』(2019)にカメオ出演を果たしている。
この続編では本作でキューブリック監督に殺されたハロランが重要な役を担うのだから、スティーヴン・キングが怒りたくなるのも無理はないか。