『カモン カモン』
C’mon C’mon
マイク・ミルズ監督とホアキン・フェニックスのタッグで、少年と伯父さんとの心の交流を自然体で描き出す佳作。
公開:2022 年 時間:108分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督・脚本: マイク・ミルズ 撮影: ロビー・ライアン キャスト ジョニー: ホアキン・フェニックス ヴィヴ: ギャビー・ホフマン ジェシー: ウディ・ノーマン ポール: スクート・マクネイリー ロクサーヌ: モリー・ウェブスター フェルナンド: ジャブーキー・ヤング=ホワイト
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
ニューヨークでひとり暮らしをしていたラジオジャーナリストのジョニー(ホアキン・フェニックス)は、妹のヴィヴ(ギャビー・ホフマン)から頼まれて、9歳の甥ジェシー(ウディ・ノーマン)の面倒を数日間みることになる。
ロサンゼルスの妹の家で甥っ子との共同生活が始まる。好奇心旺盛なジェシーは、疑問に思うことを次々とストレートに投げかけてきてジョニーを困らせるが、その一方でジョニーの仕事や録音機材にも興味を示してくる。
それをきっかけに次第に距離を縮めていく二人。仕事のためニューヨークに戻ることになったジョニーは、ジェシーを連れて行くことを決める。
レビュー(まずはネタバレなし)
マイク・ミルズ監督による子供の世界
独自の視線でパーソナルな映画を作ってきたマイク・ミルズ監督が、ビッグネームのホアキン・フェニックスを主演にしながらも、引き続きこれまでの姿勢を貫いて撮った作品。派手さもなければ、作為的な作り込みもない。
ラジオジャーナリストの仕事で全米各地に行き子供たちにインタビューをしている主人公のジョニー(ホアキン・フェニックス)。
普段はあまり会うことのない妹のヴィヴ(ギャビー・ホフマン)に頼まれて、数日間の不在の間、LAの彼女の家で9歳の一人息子ジェシー(ウディ・ノーマン)の面倒をみてあげることとなる。
ヴィヴの夫ポール(スクート・マクネイリー)は精神疾患を抱えていて、その世話をするのにオークランドの病院までいかなければいけないのだ。
◇
冒頭のインタビューはデトロイト、母子が暮すのはLA、夫の病院はオークランド、そしてジョニーが暮しているのはNYCと舞台は全米を行き来するが、さほど慌ただしさは感じない。全編を通じて、ロビー・ライアンの撮影による端整なモノクロームの映像で撮られている効果かもしれない。
こういうガキンチョ、いるよね
『サムサッカー』(2005年)で監督デビューしたマイク・ミルズの作風は何となく一貫しているが、個人的には苦手な部類だった。
『人生はビギナーズ』(2010)は妻の死後にゲイであることを家族にカミングアウトする老いた男の話だが、いまひとつ乗れず。また『20センチュリー・ウーマン』(2016)は一人息子を育てるシングルマザーの奮闘記で、世間的な評価は高いのだが、これも私にはあまり共感できずで、どうやらこの監督とは相性がイマイチなのかと思っていた。
だが、本作はわりと胸に沁みた。どこがと言われると、うまく説明しづらいが、この、気立ての優しい独身男のジョニーと生意気盛りの甥っ子のジェシーの二人が、何日間か一緒に過ごすだけの日々がとてもリアルなのだ。
甥っ子や姪っ子と二人になる映画というのは、珍しくない。ここ数年で私が観た作品でいえば、姪っ子だと『gifted/ギフテッド』(2017、マーク・ウェブ監督)、『アマンダと僕』(2018、ミカエル・アース監督)、甥っ子なら『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(2017、ケネス・ロナーガン監督)あたりが思い出される。
これらの作品でクリス・エヴァンスやケイシー・アフレックがそうであったように、本作でも大人と子供はぶつかり合うが、最後には和解して絆が出来上がる。
大きな意味ではお決まりのパターンに収まっているのだけれど、本作のユニークな点は、ジェシー少年の言動が本当に天真爛漫で大人顔負けの理屈をこねる子供そのもので、他の作品のようなありがちな反抗的態度とは少々異なることだ。
「おじさんは僕が嫌いなんでしょう?」
「なぜママと話さないの?」
「どうして結婚してないの?別れた彼女は今も好き?」
久しぶりに会ったジョニーに対しても、9歳児はまだ<なぜなぜ攻撃>が好きなのだ。
死んだ子供の幽霊になって、家に遊びに来るという変な遊びに大人を付き合わせたり、ネットで拡散している怪情報や都市伝説はじめ、大人顔負けの事情通だったり、この年齢の子供は、どの程度成長しているのか、なかなか見分けられない。
その辺のいかにも身近にありそうな子供の我儘に、ホアキン・フェニックス演じるジョニーが振り回されるままになっているところが、妙に面白い。
今回は音にこだわり
夫のポールの病院での対応に時間がかかり、もう数日面倒をみてほしいとジョニーに相談する妹のヴィヴ。ジョニーは留守番でLAに来ているから、兄妹が顔を合わすシーンは少ない。
やりとりは基本メールだが、ケータイ画面を写さずに、交わす文面だけを映像の下に字幕のように入れる手法は、ドラマの邪魔にもならずスマートな処理だと感じた。
◇
結局、仕事の都合もあり、ジョニーは少年をNYCに連れ帰ることにする。機嫌を取った訳ではないが、ジョニーが仕事で使う録音機材やマイクなどにジェシーは関心を示し、暇さえあればふたりで町に繰り出し、音声の生録をする。
ラジオの仕事という設定からなのだろうが、ビデオ撮影ではなく、音に絞り込んだことで、映画的な深みが出たように思う。
「これは平凡なものを不滅にする仕事なんだよ」
ケータイ動画に慣れ親しんでいるデジタル時代のキッズには、音だけの世界のほうが、きっと新鮮で想像をかき立てるのではないか。
そんなのぺらっぺらだよ
NYCで一緒に過ごす二人。「ママの話、もっと聞かせてよ」
そこだけ聞けば無邪気な会話だが、母の男遍歴や、中絶の話まで知っている。それは兄であるジョニーさえ、知らないことだ。
大人なのかと思えば、うるさい音楽が流れる電動歯ブラシを買えと言って困らせたり、一人でバスに乗ってどこかに行きかけたり。
「おじさんはパパが病気だから、別れろとママに言ったの?」
なにか言い繕って説明を試みるジョニーだが、「そんな答えは、薄っぺらのペラペラだ」と少年に見抜かれる。子供は鋭い。
手を焼かせることにも余念がないジェシー。ジェシーの勝手な行為に危険を感じると、つい声を荒げてしまうジョニー。それはけして誤ったことではないのだけれど、あとから自己嫌悪に陥る。
少年との距離は少し遠のいたように思える。微妙で繊細な二人の距離感。時おりながれてくる、ドビュッシーの<月の光>が場を和ませる。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
心を解放させてあげたい
子供たちのインタビューのシーンがたまに挟まることによって、どこかドキュメンタリー風の空気も漂い、本作の独特の雰囲気づくりに一役買っている。
仕事でニューオリンズに来たところで、ジョニーは少年にこれまでのふるまいを素直に詫びる。これは妹のヴィヴに教わった、ネットにも出ている子供に対する謝罪法なのだそうだ。少年もそれに呼応し、ふたりは仲直りする。
少年は時折大人びたところも見せるが、父親の病気のことも、母親の苦労のことも知っている。だから、大丈夫と強がってみせる。でもジョニーは彼を解放してあげたいと思う。
「大丈夫じゃなくて、全然いいんだよ、ジェシー」
「ボクは大丈夫だ!」
「ボクは大丈夫じゃない!それは当然の反応だ」
少年の得意なオウム返し攻撃を応用して、ジェシーに本音を語らせる。
「メチャクチャだ!」
林の中で大声でシャウトし合う二人。とても温かい関係になっている。そしてジェシーは、ようやく迎えにきた母親ヴィヴと二人で帰っていく。
⬛︎◽️母の日でしたので◽️⬛
— 映画『カモン カモン』公式|絶賛公開中! (@cmoncmonmoviejp) May 8, 2022
ギャビー・ホフマン
インタビューを再掲🤍
核家族であれ、人類という家族であれ、お互いをいかに大切にするかということを教えてくれた。私たちの未来を担う子どもたちの面倒を誰が見るのか、という問題提起がこの物語には流れている。https://t.co/hFnJTVANsd
『カモン カモン』というタイトルは、終盤の台詞にも出てくる。
「想像もしなかったことが起きるけど、人生は先に進むしかないんだ、先へ先へ(カモン、カモン)」
これといった深い意味はない。でも、不思議と本作と良く似合う。
ジョニーとジェシーは、一緒の生活を終えて、それぞれ録音メッセージを聴き合う。ともすれば嘘くさいドラマになりそうな部分だが、うまい具合にあっさりと仕上げているところがマイク・ミルズ監督らしい。
『ジョーカー』の派手な大活躍のあとにこういう仕事もこなしてしまうのが、ホアキン・フェニックスの魅力なのだろう。
こうして、伯父さんは少年の親友になったのだ。