『ナイロビの蜂』
The Constant Gardener
ル・カレの原作の映画化。製薬会社の不正を暴こうとした妻の死と、静かな夫の決意。レイフ・ファインズとレイチェル・ワイズによる夫婦像。
公開:2006 年 時間:128分
製作国:イギリス
スタッフ 監督: フェルナンド・メイレレス 脚本: ジェフリー・ケイン 原作: ジョン・ル・カレ 『ナイロビの蜂』 キャスト ジャスティン・クエイル: レイフ・ファインズ テッサ・クエイル: レイチェル・ワイズ サンディ・ウッドロウ: ダニー・ヒューストン バーナード・ペレグリン: ビル・ナイ アーノルド・ブルーム: ユベール・クンデ ティム・ドノヒュー: ドナルド・サンプター ケネス・カーティス: ジェラルド・マクソーリー アーサー・ハモンド: リチャード・マッケイブ ロービア: ピート・ポスルスウェイト
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
アフリカで暮らす英国外務省一等書記官ジャスティン(レイフ・ファインズ)と妻テッサ(レイチェル・ワイズ)。
だがある日、テッサが謎の死を遂げ、ジャスティンはその原因を追求していく中で、彼女がその信念のために巨大な陰謀に巻き込まれていたこと、そして彼女の真実の愛を知る。
今更レビュー(ネタバレあり)
ル・カレが描くひとつの夫婦像
多国籍製薬会社のアフリカにおける悪行を描いたこの作品は、スパイ小説の世界の第一人者であるジョン・ル・カレの小説にしては、意外なほど夫婦愛に重きが置かれている。
そして、映画化にあたりメガホンをとったのはフェルナンド・メイレレス監督。
近年ではNETFLIXの『2人のローマ教皇』でコメディを撮ったりもしているが、本作は、リオデジャネイロのスラムの子供達の抗争を描いたデビュー作『シティ・オブ・ゴッド』に続く監督作品。
◇
あの、ブラジルの少年たちの仁義なき戦いを撮ったメイレレス監督だから、本作もバイオレンス溢れる展開になるのか。
と思いきや、本作は、スパイの世界の組織的な不正や愚行の繰り返しなど、ル・カレ作品独特の雰囲気と緊張感を残しながらも、凄惨なシーンは極力控えめに、落ち着いたトーンの作品に仕上がっている。
妻の持つもうひとつの顔
冒頭、ナイロビに駐在する英国高等弁務官である夫のジャスティン・クエイル(レイフ・ファインズ)を空港に残して、妻のテッサ(レイチェル・ワイズ)は黒人医師のアーノルド・ブルーム(ユベール・クンデ)と二人で小型飛行機に乗り込む。
この時点で三人の情報は何も与えられないが、地上で飛行機を見送る夫の背中から旅立つ妻と男性にピントが移っていく演出は、不穏な空気を醸し出す。
◇
そして次にはもう、旅先の湖畔で横転しているクルマのアップ。映画の開始からわずか数分で、ろくな台詞もないままテッサは死んでしまうのだ。
レイチェル・ワイズがアカデミー助演女優賞を獲得したと知っているだけに、テッサの唐突な死には驚く。
車内で殺されていたのはテッサと黒人運転手。ブルームの姿は消えていた。映画ではあまり伝わらないが、ブルームは医師として医療環境改善に努める英雄的な存在で、ハンサムでもあるらしい。
行動を常に共にし、同室に宿泊していたテッサは、不倫の末にブルームに殺されたと世間では噂された。
妻との出会い、そして出産
映画はジャスティンとテッサの出会い、そして結婚して彼女を連れてアフリカに赴任するなど、回想シーンがところどころで挟まってくる。
この構成はル・カレのスパイ映画『裏切りのサーカス』と同じだが、回想シーンには死んだ人物(本作ではテッサ)が登場するので混乱は生じにくい。
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さて、ジャスティンとの出会いのきっかけからそうだが、テッサは社会の不正が許せない人権活動家としての情熱と行動力を持った女性だ。
彼の講義で噛みついてきたことから二人は親しくなり交際し始めるが、アフリカで生活することに、異常なまでの執着をみせた。彼女はそのときから、当地で何かの不正を暴こうとしていたのだ。
夫の仕事柄要人とのパーティにも参加するテッサだが、そこでも遠慮なくお偉方に噛みついていく。
テッサは妊娠していたが、ナイロビの病院で死産してしまう。最近ならNETFLIX『私というパズル』を例に出すまでもなく、夫婦にとっては衝撃的な出来事のはず。
だが彼女には、同じ病室で子供を生んだはずのワンザという女性が死に、その事実が隠滅されてしまったことの方が重大事になっている。
健康に貢献していると謳う医薬品会社スリー・ビーズがアフリカの市民を使い無償配布を装った生体実験をしているのではないか。テッサの追及に拍車がかかる。
三匹の蜂と庭いじり好きの男
テッサは生前、英国当局の不正の証拠となる、上官ペレグリン(ビル・ナイ)からの手紙をジャスティンの同僚であるサンディ(ダニー・ヒューストン)から女を武器に入手していた。
彼女に手紙をだまし取られたサンディは危うい立場を認識しながらも、ハニートラップに本気になり、彼女に恋文を書く勘の鈍い男だ。
テッサを失ったジャスティンは、ブルームと妻との不倫の噂に加え、同僚サンディからの手紙まで目にしてしまう。彼の心中は穏やかではない。
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だが、ジャスティンは妻の生前の行動を克明に追うことで、事件の全貌を解明し、妻に向き合ってみようと思う。それは、(原題の意味するように)庭いじりを愛する、礼儀正しく誠実な男がもつ、静かだが力強い決意だった。
思えば、ゲイリー・オールドマンが演じる『裏切りのサーカス』の主人公スマイリーもそうだった。静かな男がみせる行動力と冷静な洞察力は、ガーデナーに通じるのかもしれない。
直接の敵は、人びとの生活と健康を支える健全な製薬会社の顔をしながら、巨大な米国市場に結核治療薬のダイプラクサを売る為に、アフリカの地で大規模な生体実験を行うスリー・ビーズ。
その重篤な副作用を公表せずに、企業は切り抜けようと模索していた。官僚と多国籍企業の癒着、それを告発するNGOという構図が見えてくる。
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ジョン・ル・カレによる原作は架空の物語ではあるが、取材をベースにしているだけあって、実態と大きく乖離しないように思える。
事実、ファイザー製薬がナイジェリアの子供たちに行った1996年の臨床実験が問題を引き起こしたことは、その後にウィキリークスによって暴かれている。本作の元ネタかもしれない。
そう思うと、時間との勝負となっている今日のコロナ・ワクチンの開発競争には、コロナとは別の意味で不安を覚える。
妻の愛を信じ抜いたジャスティン
テッサの意を継ぎ真実の究明に乗り出したジャスティンには、脅迫や襲撃など、多難が待ち受けている。
一見優男風のジャスティン、拳銃を持たせたら華麗に動き出すようではジェームズ・ボンドの上司役のレイフ・ファインズと同じになってしまうが、ここはル・カレだから、そうはならない。
だが、行動するなかで、彼は知る。ブルーム医師はゲイであり、妻との不倫はあり得なかったこと、そして、サンディと寝たのは手紙を入手するためであり、夫にそれを言えずにテッサは苦しんでいたことを。
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猪突猛進の人権活動家テッサを演じるレイチェル・ワイズが輝いて見える。彼女が実際に出産したのは公開翌年だから、本作での妊婦姿は合成だろうか。
行動的なテッサと対照的なジャスティンの組み合わせ。テッサがジャスティンと結婚したのは、アフリカに近づけるという打算だったのかもしれない。その後の彼女の行動から、それは不自然ではない。
だが、いつしか彼女は、夫を誠実に愛し始めていたのだろう。そう思いたい。でないと、ジャスティンの行動が浮かばれない。
ジャスティンらしい決着のつけ方
アフリカという地は、庭いじりが好きな几帳面で気立ての優しい男も、獲物を追うハンターに変えてしまうものなのか。『沈まぬ太陽』でナイロビに左遷された渡辺謙もそうだったように。
ジャスティンは上官のペレグリンの指示でロンドンに強制送還され、体よくパスポートも取り上げられる。
だが、彼は妻の従兄ハム(リチャード・マッケイブ)や、死期の近い情報局長ティム(ドナルド・サンプター)の協力もあり、ついに鍵を握る医師ロービア(ピート・ポスルスウェイト)にたどり着く。
とはいえ、この男を射殺したところで、妻の無念は晴らせない。
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ジャスティンは、妻の死んだ湖畔におびき寄せた敵に自分を殺させ、裏で悪事を働いていたペレグリンの不正証拠を、自分の葬式でハムに開示させる。なんともジャスティンらしい幕引きではないか。
ラストシーンは、湖畔に佇み、妻の思い出に寄り添うジャスティン。背後には敵が迫り彼に呼びかけるが、ジャスティンには妻しか見えていない。
銃声が轟く前に映画が終わることで、美しい夫婦愛の余韻に浸れたことがありがたい。ル・カレ原作の映画化としては、エモーショナルな作品。今なお、見応えがある。