『マーティン・エデン』
Martin Eden
ジャック・ロンドンの原作を、ナポリを舞台に大きくアレンジ。労働者階級の船員から、文学と教養に目覚めて猛勉強する主人公が、富と名声とともに失ったものは。
公開:2020 年 時間:129分
製作国:イタリア
スタッフ
監督: ピエトロ・マルチェッロ
原作: ジャック・ロンドン
『マーティン・イーデン』
キャスト
マーティン: ルカ・マリネッリ
エレナ: ジェシカ・クレッシー
ラス: カルロ・チェッキ
マルゲリータ:
デニーズ・サルディスコ
ニーノ:
ヴィンチェンツォ・ネモラート
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
イタリア・ナポリの労働者地区に生まれた貧しい船乗りの青年マーティン(ルカ・マリネッリ)は、上流階級の娘エレナ(ジェシカ・クレッシー)と出会って恋に落ちたことをきっかけに、文学の世界に目覚める。
独学で作家を志すようになったマーティンは、夢に向かい一心不乱に文学にのめり込むが、生活は困窮し、エレナの理解も得られることはなかった。
それでも、さまざまな障壁と挫折を乗り越え、マーティンは名声と富を手にするまでになるが……。
レビュー(まずはネタバレなし)
舞台は西海岸からナポリへ
ジャック・ロンドンによる同名の原作は、密漁者、船乗り、放浪者などを経て作家に転身し、『野性の呼び声』で世界的名声を獲得した著者が、自らの体験をもとに書き上げた自伝的小説だ。
以前に読んだことはあるが、なかなかの長編で読了までに骨が折れた記憶がある。
今回、本作を鑑賞して、どこかに雰囲気の違いがあるとは思ったが、原作ではアメリカ西海岸の話だったものを、まるまるイタリアはナポリに舞台を置き換えているのだ。
恥ずかしながら、全然気づかなかった。ナポリの映画にして何ら違和感はないどころか、その映画的な美しさにはときにハッと目を奪われる。
◇
マーティン・エデンは労働者階級に生まれ育って、ろくに学校にも通っていない船乗りの若者だ。彫りの深い精悍なルックスに言い寄ってきた街の娘マルゲリータ(デニーズ・サルディスコ)と、いきなり船上のデッキで熱い夜を過ごす。
これは港々に女を作る、恋多きイタリアの船員の話かと思っていると、港で暴力行為から少年を救い出したことで、裕福な少年の家と接点ができる。その良家の令嬢がエレナ(ジェシカ・クレッシー)で、彼女とマーティンは惹かれ合うようになる。
恋多きというのは間違いではなかったのだが、この物語の本題は、エレナとの出会いで、マーティンが猛烈にブルジョワの文化や教養に関心を抱き、そして文学の魅力に憑りつかれてしまうことなのだ。
それからのマーティンは、むさぼるように本を読み、小学校時代まで遡って、再び学習に乗り出す。そして、自分も作家になろうとタイプライターを購入し、執筆活動に没頭するようになる。
◇
とにかくマーティンの知識欲は旺盛だ。書物に食い入るサマは、さながら大河ドラマ『花燃ゆ』で伊勢谷友介が演じた吉田松陰のよう。何となく顔立ちも似てるし。
スカーフェイスが痺れるぜ
主役のマーティン・エデンを演じたルカ・マリネッリは、本作でヴェネツィア国際映画祭のヴォルピ杯男優賞(最優秀男優賞)を受賞。
NETFLIXの『オールドガード』でシャーリーズ・セロンとともに不死身戦士の一人を演じているのだが、戦士のメンバーの中では正直一番目立っていない。こんなに華のある俳優なのに。
イタリアの奇妙なヒーローアクション映画『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』では悪役を演じているが、こっちの方は存在感大。
◇
やがて、マーティンは哲学者ハーバード・スペンサーの著書に傾倒していき、政治的関心が芽生えていく。そして、マーティンの良き理解者となる老紳士ラス・ブリッセンデン(カルロ・チェッキ)と出会い、社会主義の論客として覚醒していく。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
作家として名が売れるまで
作家の執筆活動に(ジャーナリストが記事を書くのも同様だが)、タイプライターと向き合い、マシンガンのように文字を打ち込む音を部屋中に響かせるのは、何とも映画的な光景だ。
スマホと同様に、デジタル機器に取って代わったことで絵になりにくくなったものの一つだと、改めて感じる。
書いた原稿を片っ端から出版社に送っては、採用されず返信されてくる、作家としての苦難の日々が続く。そして精も魂も尽き果てた頃、初めての採用通知と小切手が届く。
このあたりの作家もの<あるある>な展開は、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』のオルコットを思い出す。
「私たち、幸せになれるわよね?」
「もう、なってるさ」
歯の浮く台詞も、美男美女が語り合うと絵になるものだが、作品が認められ、名前が売れ始めても、マーティンとエレナの愛は深まりそうで、うまくいかない。
上昇志向が激しいのか、住まわせてもらっている姉夫婦の家での義兄への接し方ひとつとっても、他人とうまくやっていけるタイプではなさそうだ。
どうにも破滅型で攻撃的な人物であるマーティンは、かつての無教養で謙虚だった頃の自分とはかけ離れ、自分と意見が合わない者には容赦なく罵詈雑言を浴びせる、性格の悪い個人主義の論客になっていた。
上昇志向の果てに手に入れたものは
これだけ弁が立つようになったのは大したものだが、どこか空しくもの悲しい。ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』に出てきそうな、語学力の上達ぶりだ。後退はしないけれども。
愛し合っていたエレナは、彼が社会主義に毒されていく姿を見て、とても両親に結婚を認めてもらえないと離れて行ったが、最後には再び彼のもとへ戻って来る。何度めかの復縁だ。
どうみてもハッピーエンドのように思えたが、マーティンは久々に彼を訪ねてきたエレナに激昂し、厳しい言葉を浴びせる。
「俺が売れて有名になったから、戻ってきたんだろう?」
本作は冒頭から全編を通じて、たびたびアーカイブ映像や記録映像が、マーティンの幼少期の記憶のようにインサートされる。それは例えば彼が生まれ育った労働者層の集落の風景だったり、仲の良い姉との楽しい思い出だったり。
このフラッシュバックによって、マーティンの内面がより深く映し出される。
◇
そして、終盤に、彼を訪ねてきたエレナを追い返すシーン。泣きながら母親とクルマで帰ろうとするエレナを遠く窓から見下ろしているマーティン。
何とその背後に、彼女から借りたであろう本を大切そうに抱えて歩く、若き日のマーティンが登場する。
その姿が今のマーティンの目に入っているのかは分からない。ただ、エレナを追い返した彼は、遠い昔の向学心旺盛だった自分を思い出していたのかもしれない。
◇
そのあと、マーティンは夕陽の沈む海の中にズカズカと進んでいく。入水自殺にしては随分と威勢がよすぎる。だが、そのシーンの直前に挟まっている、エレナが登場するワンカットでは、彼女は喪服姿のように思えた。
労働者階級から独学で作家を目指す若者の苦闘の結末は、けして明るいものではなかったようだ。