『終点のあの子』考察とネタバレ|唐木田行きだったら映画にならなかったよ

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『終点のあの子』

柚木麻子の短編原作を映画化。當真あみと中島セナのダブル主演で描く、女子高生の蹉跌。

公開:2026年 時間:125分  
製作国:日本

スタッフ 
監督:        吉田浩太
原作:        柚木麻子

          『終点のあの子』
キャスト
希代子:       當真あみ
朱里:        中島セナ
奈津子:      平澤宏々路
恭子:         南琴奈
名村先生:      野村麻純
希代子の母:    石田ひかり
瑠璃子:       深川麻衣

勝手に評点:3.0
 (一見の価値はあり)

(C)2026「終点のあの子」製作委員会

あらすじ

私立女子高校の入学式の日。中等部から進学した希代子(當真あみ)たちは、通学途中に青い服を着た見知らぬ少女から声をかけられる。

彼女は高校から外部生として入学してきた同級生の朱里(中島セナ)で、海外暮らしが長く、父親は有名カメラマンだった。

自由奔放で大人びた朱里は、学校では浮いた存在でありながらも羨望のまなざしを向けられ、希代子もそんな彼女にひかれていく。

徐々に朱里と行動をともにするようになった希代子の世界は明るく輝き出すが、そんな矢先、希代子は朱里の日記帳を見つける。

(C)2026「終点のあの子」製作委員会

レビュー(まずはネタバレなし)

柚木麻子が新人賞を獲得した原作を映画化、監督は吉田浩太。彼の作品はこれまで観たことがなかったが、原作のもつ女子高の生徒たちの日常が醸す世界観を、実にみずみずしく描いていることに感心した。

プロテスタント系女子高の入学式の日。中学からの内部進学者の希代子(當真あみ)たちが登校途中で下北沢の再開発がいつまでも続く話で盛りあがっている。

「サグラダファミリアみたいに、終わらないのがいいんだよ」と気さくに話しかけてくる見知らぬ女子。

制服姿の希代子たちの中で、青いワンピース姿がひと際目立つ。これが高校転入生の奥沢朱里(中島セナ)だ。

著名なカメラマンを父に持ち海外生活が長いせいか、女子校特有の暗黙なルールにも頓着せず、自由気ままに生きている朱里。

希代子の購買部のメロンパンと自分の持参した高級メロンパンの交換を持ち掛けてきた朱里。枠から飛び出して生きている朱里が新鮮に見えた希代子。すぐに二人は親しくなる。

朱里はよく気まぐれに、下北沢から学校には停まらない小田急線の急行に乗り、終点の片瀬江ノ島駅で降りて人気のない海を眺める。

だから<終点のあの子>。そのタイトルには、誰よりも先に終点に到達し自由を謳歌する生き方とともに、群れずに孤独でいる寂しさも読み取れる。

学校が小田急沿線だから終点駅がドラマになるのだな。これが中央林間京王八王子だと、ちょっと冴えない。

なお、原作から時を経て現実に下北沢再開発は完了し、本場バルセロナのサグラダファミリアもついに完成間近だ。

(C)2026「終点のあの子」製作委員会

さて、ありがちな女子高生の友情物語になりそうな導入部分だが、本作の面白いのは、次第に朱里の自由でがさつな生き方を、希代子が煙たく感じ始める点だろう。

あることをきっかけに、ひびが入ってしまう関係。このあたりの、二人の微妙な距離感の変化がこの物語の真骨頂だ。

そこに、クラスの女王として配下を従えて君臨する恭子(南琴奈)や、希代子からすっかり相手にされなくなった親友の奈津子(平澤宏々路)も絡んでくる。

性別を問わず、多くの人は登場人物たちの誰かにかつての自分の姿を重ねるのではないかと思う。

(C)2026「終点のあの子」製作委員会

希代子役には、『おいしくて泣くとき』、『ストロベリームーン』と目下絶好調の當真あみ『人はなぜラブレターを書くのか』の公開が控えている。

闇落ち感のある優等生少女という難しい役柄を好演。カルピスウォーターCMにも出演。

対する朱里役には中島セナ、こちらは元ポカリスウェットCMキャラだ。『WE ARE LITTLE ZOMBIES』の溌剌さがいまだに印象的。佇んでいるだけで、自由気まま感が漂う彼女に朱里はまさにハマリ役。

アンパンマンには似てないけど、時おり江口のりこっぽいカットがあると思っていたら、調べてみると吉田浩太監督は初期に江口のりこ主演で二本撮っていた。

その他、女王・恭子役には、『ミーツ・ザ・ワールド』が良かった南琴奈。親友・奈津子には子役時代からのベテラン平澤宏々路

(C)2026「終点のあの子」製作委員会

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見・未読の方はご留意ください。

結局、男女別学だろうが共学だろうが高校時代なんて、いうほどキラキラしている日常があるわけでもなく、かといって、それほどドロドロとした怨嗟の世界に染まっているわけでもない

自分なんかも、その中間にある中途半端な青春期を過ごしてきた一人だが、希代子や朱里たちだって、その例に漏れない。だからこそ、この作品が、心のどこかで共感するのだろう。

朱里が冗談で語った案を横取りして、学園祭の催しでマリーアントワネットカフェを主導する希代子。

(C)2026「終点のあの子」製作委員会

周囲を見下して群れない朱里をのけ者にして、クラスは女王の恭子と、巧みに仲間入りした希代子を中心に盛り上がっていく。

そして、朱里を更に悪者にしようと、希代子は学校の毒を吐いた朱里の日記を持ち出して、クラスに晒す。

希代子は心底から朱里を嫌っていたのではなく、「希代子は海に誘ってあげたのに学校をさぼれずに土壇場で逃げた。あの子はずっと飛び立てない」という日記の言葉が図星だった。痛い所をつかれたのだ。

(C)2026「終点のあの子」製作委員会

だが、希代子の反撃は効いた。自由人を装う朱里だが、著名なカメラマンの父親の威を借りずにはいられない、脆弱さを持っていたから。

もはや、二人の関係は修復できず、また、行き過ぎた行動に、希代子もクラスで疎外されていく。

柚木麻子の原作は連作集であり、その中の新人賞受賞作である「フォーゲットミー・ノットブルー」(勿忘草の青色の意)を映画化したもの。中途半端に他の挿話も採り入れなかったことは好判断だと思う。

そして、終盤に、喧嘩別れしたままの希代子は、一人で終点まで海を眺めに行く。これは原作にはない展開だ。

であるならば、そこで二人が再会して仲直りすることもあるかと思ったが、そうではなく、やがて美大に進んだ朱里を希代子が唐突に訪ねていくという展開になった。

この辺になるともう、吉田浩太監督のオリジナルになっていくのだが、正直ラストの場面には驚かされた。これは観る人によっては噴飯もののシーンなのだろうが、なかなか妙案だと思った。

再会しても平行線のままでは盛り下がるし、かといって安易な復縁もまた、原作の風合いと異なる。ならばこれでどうだという、奇想天外なラストというところか。