『光る女』
相米慎二監督が武藤敬司と秋吉満ちるを起用し撮った、野獣の愛の物語。
公開:1987年 時間:118分
製作国:日本
スタッフ
監督: 相米慎二
脚本: 田中陽造
原作: 小檜山博
「光る女」
キャスト
松波仙作: 武藤敬司
小山芳乃: 秋吉満ちる
桜栗子: 安田成美
尻内: すまけい
赤沼: 出門英
ヒロシ: 児玉茂
勝手に評点:
(悪くはないけど)

コンテンツ
あらすじ
北海道の山奥から、熊のような大男・松波仙作(武藤敬司)が東京にやってきた。結婚の約束をしたまま帰ってこない幼馴染の栗子(安田成美)を連れ戻しに来たのだ。
仙作は歌声に導かれて、芳乃(秋吉満ちる)と尻内(すまけい)という男女と知り合う。芳乃は、命がけの死闘を見世物にしながら、アリアを聞かせる怪しげなクラブ・ジョコンダの歌手である。
尻内はジョコンダのマネージャーであり、芳乃のスポンサーでもある中年男であった。仙作は栗子の居所を尻内から聞き出すために、自ら死闘を演じることとなる。
今更レビュー(ネタバレあり)
夢の島から始まる異世界
相米慎二監督の作品レビューを書いてきたが、最後に残っていたのが本作。行方の分からなくなった許嫁を探しに、北海道の山奥にある滝上から上京してきた熊のような大男の物語。
◇
冒頭のシーンから強烈なインパクト。広大な夢の島に見渡す限りのゴミの山。「東京はえらく寂しい所だな」と熊革チョッキを着て素足で歩く大男の松波仙作(武藤敬司)。

なぜかガラクタの山の上にステージ衣装で立ち、アリアを歌い上げる女、小山芳乃(秋吉満ちる改め Monday満ちる)。その脇には、ピアノで伴奏するクラブ・ジョコンダのオーナーで初老の男、尻内(すまけい)。
ゴミの山からは海を隔てて東京の大都会が霞んで見える。どんな経路で上京しようが、いきなり夢の島にはたどり着かないだろうし、ここで歌っている男女も謎すぎるが、この不可思議な光景が、本作全体を象徴している。
◇
仙作は、故郷の滝上から経理学校に通うために上京した許嫁の栗子(安田成美)が消息不明なために、彼女を探しに東京に来た。「その女なら知っているぞ」と仙作に言う尻内。
田舎者にそんなことを言って騙すのはドラマの常套手段だが、実際に尻内は栗子を知っているらしい。というか、怪しげな店で働かせている、この男の情婦なのだ。気持ちよいほどのご都合主義。
そうとは知らず仙作は、栗子に会わせてやるという尻内の条件に従い、男の経営するクラブ・ジョコンダに行き、リングで戦う羽目に。
怪しい観客たちが囲む異種格闘技のリング、その横で芳乃がアリアを熱唱。ものすごい異世界空間。リングに立つ武藤敬司は、やはり場外にいるよりイキイキしている。

原作との違い
相米監督は、映画らしい映画ということをやりたかったと語っている。素足のヤツが東京の町を歩いているだけで、非日常の世界だ。
西新宿の駅から副都心に抜ける長い通路や、新宿東口マイシティ前の雑踏で、熊革チョッキで素足の仙作が大声で芳乃や同郷の赤沼(出門英)に話しかける。
周辺の通行人がチラチラとそれを不審そうに見るだけでなく、中には立ち止まってしまう人もいる。
『セーラー服と機関銃』のラスト、新宿の雑踏でマシンガンを撃ち抜く薬師丸ひろ子のように、ゲリラ撮影するのが相米慎二のスタイルだとすれば、これもそうなんだろうか。エキストラだとすれば、みんな演技派すぎる。

熊のような荒っぽい男にプロレスラーの武藤敬司、アリアの歌姫にミュージシャンの秋吉満ちる。演技力よりも、その道の本物らしさを選んだということなのだろう。
このキャスティングが正解だったのかは分からないが、天井桟敷的な世界観の中で、不思議な説得力を生み出したことには肯ける。
◇
泉鏡花文学賞をとった小檜山博の同名原作は、ここまでぶっ飛んだ内容の話ではない。
「俺の嫁にならんか」が口ぐせの大男が、北海道の過疎村から、一度だけの契りを交わした栗子をおいかけて上京する基本プロットは同じだし、栗子が東京で変なヒモがついて、堕落しているのも同じ。
一方、異なる点は多い。原作では男は農作業で蓄えた500万を持参。これで馬を買って嫁と牧場をやるらしいが、「金ならあるぞ」と東京者に見下されないように警戒している。
栗子が麻薬をやっているのは同じだが、ヤクザによってソープに沈められている。芳乃という歌姫ではなく、火砂子という都会暮らしのいい女が登場し、二人は惹かれ合うようになる。
仙作が熊のように強いのは共通するが、原作での得意技は金玉蹴り上げ。これで多くの東京の男たちを悶絶させる。さすがにプロレスラーに敬意を払ったのか、この禁じ手は使われなかった。
俺の国では女は宝物なんだ
「俺の国では女は宝物なんだ」というキャッチ―な台詞がある割には、ひとりの女を一途に愛するのではなく、「俺の嫁にならねか」を連発する主人公の心情がどうにも不可解ではあるが、これは原作も同様。
映画は進むにつれ、物語の展開よりも、映像的な面白さが際立ってくる。『お引越し』にも似た、映画的な楽しい暴走が始まるのだ。
印象的なのは二つの電話のシーン。栗子と芳乃が初めて電話で話をする場面では、空間の隔たりを無視して、クラブで受話器を取る背後の暗がりの中に栗子がいる演出の美しさ。

「私はたった今、歌手としてデビューしてしまった。もうあなたとは会えないわ」と仙作のプロポーズを断る芳乃のシーンも良かった。
◇
ただの中年オヤジにしかみえない尻内が、仙作の挑発にのってリングで戦い、勝ってしまうという展開は想像を超えたし、プールでの競泳のあとに芳乃の水着を力ずくで剥ぎ取って半裸にする仙作は、まるで獣のよう。もうやりたい放題の相米演出。

しけの海は光るんだ
極めつけは、クラブで歌っていた同郷の赤沼が自分に火をつけてバスごと焼死する場面。まだ新宿西口バス放火事件の記憶が新しい頃に、同じ西新宿でこれを撮るとはなんと過激な。
しかも、スタントマンの炎上の仕方も、バスが燃え上がる火加減もハンパなものではない。どうやって撮ったのかと心配になるほど。さすが相米組はいつも命がけである。
ちなみに、仙作や芳乃とともにクルーザーでエンジョイする赤沼が、顔中に貼っている黒いマスクは、当時流行っていた資生堂ギアの顔パックと思われる。懐かしい。
「しけの海は光るんだ」
自殺した赤沼が故郷滝上に残した少年の台詞が、「光る女」に繋がるのかと思ったが、これは考え過ぎか。
終盤、真っ赤なスーツに身を包んだ仙作(まるで『俺物語』の鈴木亮平だ)は東京湾上の舟の上でそれを脱ぎ捨てマッパになり(謎すぎる)、芳乃を巡って尻内と戦い、鉈で敵をぶった切る。そこに芳乃がきて「栗子が死んだ」と。
◇
結局、芳乃を連れて故郷に帰ってめでたしめでたしとなるのだが、ストーリーは理解を超越している。田中陽造の脚本はどこまで生かされたのだろう。
演技経験のない二人がメインキャストでは、安田成美とすまけいでも支えきれなかった感はある。だが、この映画には、演技力やリアリティよりも、非日常性が求められているのかも。
なお、主人公のオーディションに参加したが華奢だからという理由で落選した、当時学生の髙嶋政宏は、その後に主演する『ZIPANG』(林海象監督)で安田成美、秋吉満ちると共演を果たしている。