『新世紀ロマンティクス』
風流一代 Caught by the Tides
巨匠ジャ・ジャンクー監督とミューズ女優のチャオ・タオによる、新世紀を生きる男女の記録。
公開:2025年 時間:111分
製作国:中国
スタッフ
監督: ジャ・ジャンクー(賈樟柯)
キャスト
チャオ: チャオ・タオ(趙濤)
ビン: リー・チュウビン(李竺斌)
パン: パン・ジアンリン(潘剑林)
チョウ: チョウ・ヨウ(周游)
黄毛: ラン・チョウ(蘭周)
勝手に評点:
(一見の価値はあり)

コンテンツ
あらすじ
2001年、炭鉱産業が廃れ失職者で溢れかえる山西省・大同。2006年、三峡ダム建設のため100万人以上が移住を余儀なくされた長江・奉節。コロナ禍の2022年、マカオに隣接する経済特区として発展する珠海と、すっかり都会となった大同。
チャオ(チャオ・タオ)は大同を出て戻ってこない恋人ビン(リー・チュウビン)を探して奉節へ向かい、ビンは仕事を求めて珠海を訪れる。時は流れ、ふたりはまた大同にたどり着く。
レビュー(まずはネタバレなし)
2001年、大同
新世紀の幕開けから始まる映画ではあるが、『新世紀ロマンティクス』の邦題から想像される甘ったるい男女の話ではない。原題や英題『風流一代/ Caught by the Tides』の方が、ヒリヒリするような大人の男女の関係を言い表している。
◇
まずは2001年、中国北部の大同。主人公のチャオはキャンペーンガールやモデルをしている。マネージャーのビンは恋人だ。
炭鉱の町大同は不景気で失職者だらけだが、WTO加盟や北京オリンピック開催決定など、中国経済自体には勢いがあり、時代を感じる。
昔ながらの唱歌を歌う女性たちのシーンと、現代のダンス音楽で踊る若者たちとの混在文化。チャオとビンは青春を謳歌しているように見えたが、ある日、ビンは一旗揚げるためにチャオにSMSを残して大同を去ってしまう。
基本、予備知識を何も持たずに映画を観に行ってしまう派の私は、チャオを演じている女優はジャ・ジャンクー監督の妻にしてミューズであるチャオ・タオに見えた。
でも、さすがに若すぎる。よくぞ、ここまで若い頃の彼女に似た女優を見つけてきたものだ。そう感心していた。
2006年、奉節
2006年、チャオは戻らないビンを探して15時間をかけ、古都、長江の奉節を訪れる。雄大な川の流れと行き交う船。そして巨大な三峡ダム建設により水底に沈む運命にある、近代的な都市のもの悲しい町並み。
長江に三峡ダムとくれば、ジャ・ジャンクー監督のホームグラウンドに戻ってきたようで、慌ただしく喧騒の大同に比べると、ゆっくりとした時間の流れが心地よい。

だが、既視感が強すぎる。レモンイエローのブラウス姿でミネラルウォーター片手に旅をするチャオ。これって、『長江哀歌』だったか『帰れない二人』だったか、過去映像そのままじゃん。
そうか、ジャ・ジャンクーの作品で、若すぎるチャオ・タオが、『アイリッシュマン』のデ・ニーロやアル・パチーノのように最新技術による若返り加工であるはずがない。これは、過去映像の再編集だったのか。
この辺で、ようやく私は真相にたどり着いた。実際には、過去作品で未使用だった膨大なストックから選び抜いたということらしい。
新世紀の始めからの男女の25年の隔たりを描くことなど、過去作に長年チャオ・タオとリー・チュウビンを起用し続けてきたジャ・ジャンクーだからこそできる芸当だ。
◇
電話もSMSも繋がらず、チャオは地方テレビの尋ね人コーナーでビンの行方を捜し、ついにふたりは再会する。だが、ビンには三峡ダム建設に関わる中で、別の女の存在があった。
チャオとビンの会話はこれまでメール中心であったため、映画の中ではサイレント映画のように字幕画面が挟まれていた。
二人が対面してもこの演出が続くのは面白いと思っていたが、過去映像の再編集となれば、このような形式にしないと、物語が成立しないのだ。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
2022年、珠海
飛行機の中で、乗客もCAもみなマスクをしている。見慣れた光景だが、SARSが流行った時代か? だが待て、人々は折り畳み式の携帯から最新型のスマホに買い替えている。
時代は2022年のコロナ禍、身体を壊し、足を引きながら歩くビンはマカオに隣接する経済特区の珠海に、旧友のパンを訪れる。
だがパンは入院中、コロナで見舞いにも行けず、その息子チョウはTiktokでインフルエンサーのマネージメント業をしていた。職にあぶれたビンは、チョウの仕事を手伝わせてもらう。

2006年の奉節でチャオが食堂のスクリーンで見た映像では、「これからはロボットの時代。私たちと新しい世紀を始めましょう」と、明るい未来が謳われる。
「私の利点は、悲しまないこと」と自慢げに語りかけるロボットの映像はどこか冷徹だ。ビンを追いかけて辺境まで来たチャオには、不安と哀しみが満ちているというのに。
そして、再び大同へ
そして、二人が別れてから16年、変わったのはコロナとスマホだけではない。チャオは年齢を重ね、大同のスーパーでレジ係をしている。
仕事を終え帰宅しようとするチャオに、日本でもよく見かける丸っこい接客ロボットが話しかける、「悲しそうに見えますね」と。

マザー・テレサやマーク・トウェインまで引用して、ロボットは彼女に<笑い>を勧める。時代を経て、悲しまないロボットは、少し人間に歩み寄ってくるようになったのか。
ロボットはマスクをするチャオの表情が読めなかったけれど、時を隔てても眉と眼差しだけでかつての恋人を認識できるのが人間。落ちぶれて大同に舞い戻ってきたビンは、スーパーのレジでチャオと偶然の再会を果たす。
別にロマンティックではないが、男の靴紐をかがんで結び直してくれるチャオにはまだ優しさが残っている。こんな時、男は甘い期待をするものだ。

だが、チャオは突如、夜の街中で光るリングを両腕に装着する。なんだこれはと思っていると、路上をやってくるマラソン・ランナー集団に合流して、そのままビンを残して走り去ってしまうのだ。
確かに、チャオは同僚に走る予定があるとは言っていたものの、これは痛快だった。
二人がよりを戻すよりも、断然ジャ・ジャンクーらしいし、映像のインパクトも素晴らしい。新世紀で激変を遂げた中国社会の中で、チャオもまた、男との過去を引きずることなく、逞しく笑みを湛えて、日々を生き抜いているのだ。
◇
ジャ・ジャンクーにとってもチャオ・タオにとっても、まるで、これまでのフィルモグラフィーを総括するような作品だった。このふたりにしか撮れない一本。