『あ・うん』
高倉健と富司純子の東映トップスターに板東英二を加えた、男女三人の不思議なヒューマンドラマ
公開:1989年 時間:114分
製作国:日本
スタッフ
監督: 降旗康男
脚本: 中村努
原作: 向田邦子
『あ・うん』
キャスト
門倉修造: 高倉健
水田たみ: 富司純子
水田仙吉: 板東英二
水田さと子: 富田靖子
門倉君子: 宮本信子
まり奴: 山口美江
石川義彦: 真木蔵人
旅館の番頭: 大滝秀治
見知らぬ男: 三木のり平
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
昭和12年の東京・山の手。軍需景気で羽振りがいい鋳物工場の経営者・門倉(高倉健)は、地方勤務から帰ってきた軍隊時代の友人・水田(板東英二)やその一家と再会する。
門倉は君子(宮本信子)という妻がいながら、ひそかに水田の妻・たみ(富司純子)に好意を寄せていた。
門倉はそんなたみへの思いを振り切ろうと、わざと水田に嫌われるような行動を取り出すが、人々の想いはそれぞれ異なる方向に向かっていき、新たな人間模様を生んでいく。
今更レビュー(ネタバレあり)
向田邦子の唯一の長編小説
羽振りの良い中小企業社長の門倉(高倉健)と安月給のサラリーマンの水田(板東英二)の二人は、性格も境遇も対照的ながら、ともに戦火をくぐった戦友の絆で結ばれている。
水田の妻・たみ(富司純子)や娘のさと子(富田靖子)も門倉を慕っているが、門倉は秘かにたみに思いを寄せている。けして、泥沼にはまる不倫のドラマではなく、男の友情とプラトニックな恋愛をユーモラスに描いた作品。
この物語はまず1980年にNHKでドラマ化された。1981年に向田邦子が飛行機事故で亡くなる直前まで携わっていたのが、このドラマの続編だった。映画版の『あ・うん』は降旗康男監督のメガホンで1989年に公開される。
驚かされるのは、キャスティングだろう。
監督が降旗康男となれば、高倉健の主演自体はさほど驚かないとはいえ、軍需景気に乗る鋳物工場の経営者である門倉という人物は、彼が演じるには異例なキャラだ。ドスを持って斬りこむわけでも、寡黙で男らしい人物でもない。
友情に厚いところは高倉健に似あうが、経営者としてはあまり才能もなく、戦友の妻への想いの示し方だけが「不器用ですから」と言えそうな男。
芸者遊びにも通じていて、「俺だって助平だよ」などと、およそ高倉健らしくない台詞も飛び出す。『グレート・ギャツビー』的な謎めいた資産家とも思える。
こういうキャラクターを高倉健が演じているのを見るのは、新鮮味がある。
英断の板東英二、驚きの富司純子
その親友で、門倉が世話を焼きたがるサラリーマンの水田に板東英二を起用したのは、降旗康男監督の英断らしい。その独特の演技と個性的な喋りで水田という人物をただの善人にはしたくないという、監督の思惑は何となく理解できた。
だが、『金妻』をはじめとするお茶の間のドラマならともかく、銀幕で高倉健と双肩を並べる存在としてはどうだったか。私は板東英二に最後まで馴染めずにいた。
そもそも、『あ・うん』というタイトルは、この門倉と水田の関係が、まるでずっと一緒で睨み合っている狛犬のようだというところからきている。
ドラマでは門倉を杉浦直樹、水田をフランキー堺が演じている。この二人なら狛犬のあ・うんに見えなくもないが、高倉健と板東英二では、釣り合わないのではないか。
もっとも、この映画の配役で最大のサプライズは、水田の妻たみ役の富司純子だろう。
結婚で女優・藤純子の名を捨て引退し、数年後、寺島純子として『3時のあなた』の司会で芸能界復帰。そして富司純子の名で、17年ぶりに本作で女優にカムバック。高倉健さえも驚いたという。
ブランクを感じさせない所作の美しさ。普通の専業主婦でありながら、時折、二人の男どもに見せる凛々しい眼差しが、緋牡丹のお竜を彷彿とさせる。
東映のトップスターだった高倉健と富司純子に挟まれては、さすがに板東英二もやりづらいかったろう。
門倉が水田一家とばかり一緒に過ごすので、自分はいつも蚊帳の外だと嘆いている、冷え切った関係の門倉の妻・君子を演じるのが宮本信子。
1989年といえば伊丹十三監督の『マルサの女2』の翌年であり、その後の彼女の活躍をみると、もう少し物語に絡んできそうな役が与えられそうだが、この物語ではあくまで一歩引いた立ち位置。
◇
この君子が仲人として、水田の娘さと子(富田靖子)に帝大生の石川義彦(真木蔵人)との縁談話を持ってくる。家柄が違いすぎると水田が破談にしてしまうが、秘かに二人は交際を続ける。
真木蔵人は北野武監督の名作『あの夏、いちばん静かな海。』に出演する前であるが、すでにサーファーに見えてしまう。
幼すぎる富田靖子
向田邦子の原作を読んでイメージした世界と大きくギャップを感じたのは、実は板東英二の演技ではなく、富田靖子のキャラ設定である。18歳の一人娘であるが、この時代にしては夢みる乙女というか、幼すぎるのではないか。
冒頭、汽車で東京に戻ってくる場面でも、「だってお母さん、門倉のおじさんが好きなんだもんね!何をやっても華があるし」と、もっと丁寧に伝えるべき感情の機微を、そのまま台詞にしてしまう。
親の顔を上目遣いでみながらはしゃいでいる富田靖子は、まるで『姉妹坂』(大林宣彦監督)の末っ娘のようだ。あの映画では上に三人も姉貴がいたから天真爛漫でも収まりが良かったが、本作ではもう少し落ち着いたキャラの方が作品に合っていた。
彼女と真木蔵人が、「狛犬さん あ」「狛犬さん うん」と言い合うシーンも、微笑ましくはあるが、原作では教育勅語で習ったこの台詞を彼女が回想するだけだ。口に出してしまったら、間が抜けて見える。
水田が部下の使い込みを(自分の出世に響くから)自腹で埋めようとした際に、門倉が大金を用立ててくれ、その結果、会社が倒産寸前まで行ってしまう。
門倉が水田に神楽坂で芸者遊びを教えたら、一番人気のまり奴(山口美江、唯一の映画出演)に入れあげた水田が月給前借してまで日参するようになり、結局門倉が内緒で大金をはたいて彼女を店から引かせ、水田から遠ざける。
さと子が石川と心中しようと家出したと早合点し、修善寺の温泉旅館に駆け付けた水田夫妻に、門倉があとから合流すると、番頭(大滝秀治)は男と駆け落ちした妻を夫が追いかけてきたと誤解する。
様々なエピソードが、二人の戦友と一人の妻との仲の良い関係を浮き彫りにする。
大切なことは言わない
このままではいつかたみとの一線を越えてしまうと感じ取ったのか、門倉はわざと水田に喧嘩を仕向け、二人は絶縁状態になる。
そんな状況で、水田は恐れていたジャワ支店への栄転が決まり、また、石川には召集令状が届く。挨拶後に去っていく石川を追いかけるようにさと子に言い、
「今晩は帰ってこなくてもいい、おじさんが責任を取る」
と背中を押す門倉はカッコいい。ここは父親の見せ場を取られてしまったようだ。
「今夜一晩が、さと子ちゃんの一生だよ」
門倉もたみも、お互いの気持ちは感じ取っているが、それを口にしてしまえば、みんなの関係は瓦解してしまう。水田もまた、二人の胸中を知りながら、鈍感な男を演じ続ける。
そういう戦友の仲というものがあるのかは知る由もないが、「人間は大切なことは言わない」ものなのだ。
原作では水田、映画では門倉が、通りすがりの酔っ払い(三木のり平)に屋台で一杯おごってやりながら、自分の胸の内を語るシーンがある。どちらがこの場面を演じても、ドラマとしては成り立つのだ。対等の関係ということか。
◇
門倉と一緒にいるだけでつい頬が緩んでしまうたみが何とも可愛らしい。やはり、この映画は富司純子のための作品だと思った。