『ほかげ』
塚本晋也監督が戦争の悲惨さと愚かさを子供の目線で訴えかける静かな反戦映画。
公開:2023 年 時間:95分
製作国:日本
スタッフ
監督・脚本: 塚本晋也
キャスト
女: 趣里
戦争孤児: 塚尾桜雅
テキ屋の男: 森山未來
復員兵: 河野宏紀
中年: 利重剛
優しそうな男: 大森立嗣
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
女(趣里)は、 半焼けになった小さな居酒屋で1人暮らしている。体を売ることを斡旋され、戦争の絶望から抗うこともできずにその日を過ごしていた。
空襲で家族をなくした子供(塚尾桜雅)がいる。 闇市で食べ物を盗んで暮らしていたが、ある日盗みに入った居酒屋の女を目にしてそこに入り浸るようになる。
復員して間もない若い兵士(河野宏紀)が客として居酒屋を訪れるが、久しぶりに熟睡できたと戦争孤児とともに女の家にいついてしまう。三人は仮の家族のような様相になるが、若い兵士の様子がおかしくなり、その生活も長くは続かなかった。
女と子供は互いに切り離せない仲になっていくが、ある日、闇市で暗躍していたテキ屋の男(森山未來)から仕事をもらったと言い残し、 悲しがる女を置いて子供は旅に出てしまう。テキ屋の旅の目的も 知らされないままに… 。
レビュー(まずはネタバレなし)
塚本晋也の戦争三部作
終戦記念日を意識したわけではないが、偶然手にした作品が本作だった。数日前に観た『明日への遺言』(小泉堯史監督)と同じく大岡昇平原作を映画化した『野火』(2014)、続いて時代劇の『斬、』(2018)そして本作と、近年の塚本晋也監督は戦争にこだわる。
◇
戦争の悲惨さ、怖さ、愚かさを伝えていく中で、その内容も次第にミニマルなものになっていく。本作は登場人物も限られ、終盤のある出来事を除けば、とりたてて派手な事件が起きる訳ではない。
だが、そこには戦後の日常が描かれている。人々は大きな悲しみを抱えながら、でもそれを悲しんだり取り乱したりする余裕もなく、毎日をやっとの思いで生き長らえている。
◇
塚本晋也監督は1960年に渋谷で生まれ育った。当然、戦争を知らない子供たちの一人であるが、当時の渋谷には、今のマークシティがある場所に最後の闇市が残っていたそうだ。
闇市や傷痍軍人の街頭募金、或いは特攻で亡くなった親族など、私を含むおっさん世代は多かれ少なかれ、かろうじて戦後を感じ取れる経験を持っている。
戦争の悲惨さを生々しく再現する反戦の映画は、ヒットにもつながりにくく、暗くて重いと敬遠される時代なのかもしれない。
だが、世界情勢をみれば平和な時代と安心できる状況にないことは言うまでもなく、本作のような作品はコンスタントに世に送り出されてほしいものだ。
趣里が営む売春居酒屋
映画は冒頭、闇市の片隅に小さな居酒屋を営み、ひっそりと暮らす女(趣里)。「変な奴は寄り付いていないか」と彼女に声をかけ、どこかで入手した一升瓶を届けにくる親切そうな男(利重剛)。
そして女を抱き、そそくさと帰っていく。倒れ込んだ女が伸ばした手が店のカウンターを這い、ここでタイトル。
趣里は朝ドラ『ブギウギ』の笠置シヅ子イメージの役とは打って変わって、笑顔も覇気もない女学生のような役。さすが振幅が広い。彼女はこの店を切り盛りしながら身体を売って孤独に暮らしている。
そこに、食糧を盗みにきた戦争孤児の少年(塚尾桜雅)と、客としてやってきた復員兵(河野宏紀)が入り浸るようになる。召集されるまでは小学校の教員をしていたという復員兵は、少年に算数を教え始める。
毎日、カネを稼いでくるといっては無銭で戻ってくる復員兵と、どこからか食糧を盗んでくる少年の奇妙な同居生活には不思議な安寧があり、この三人がメインの物語かと信じ始める。
◇
だが、ある日突然、男は豹変する。見た目は五体満足でも、繊細そうな復員兵は、戦地で心が壊れてしまったのだ。
誰も名前を持たず、何の約束も繋がりもない三人の共同生活が突如崩れ、それ以来、女は少年と疑似母子のような生活を始める。
趣里から森山未來にバトンタッチ
戦争で夫と子供を亡くした女、家族を失った戦災孤児の少年。両者が結びついて不思議はないが、すぐに愛情を確かめ合うような、素直な感情表現にならない二人。
子役の塚尾桜雅は『ラーゲリより愛を込めて』にもニノの次男役で出演。つぶらな瞳と子供らしい表情がいい。だが、過酷な環境は、この少年に大人に甘えることを許さないのだ。
疑似母子の生活は『三丁目の夕日』的な戦後復興期の家族ドラマになっていくことを期待したが、まだまだ塚本晋也監督は容赦しない。
盗みをやめて仕事をするように女に言われた少年は、親切そうなおじさんから、いい仕事があると紹介される。少年はどこで拾ったのか、拳銃を後生大事に持っている。それを使って一仕事する話のようだ。
危ないから絶対引き受けてはダメだと少年に強く言う女。だが、結局、ちょっとしたことがきっかけで、少年は家を出て、そのテキ屋の男(森山未來)の仕事を引き受け、一緒に遠出をすることになる。
ようやく登場した、この森山未來という役者は、善悪どちらの側も余裕で演じ分けられるが、今回はどちらだろう。
小さなガキに「拳銃もってこい、仕事をやる」と声かけするくらいだから相当胡散臭い人物だが、このテキ屋の男と少年は、何かの犯罪計画のために、二人で旅をする。
趣里と森山未來は、映画の中では出会うことがない。少年のバディはここでバトンタッチしたのだ。つまり、実質的に本作の主人公はこの少年といえるが、実力派のこの二人の俳優に対しても、子役の塚尾桜雅の演技は見劣りすることがない。
テキ屋の男は少年に一体なにをさせようというのか。男が狙いをつけていたターゲットの優しそうな男を演じるのは大森立嗣。
◇
興味深いことに、復員兵役の河野宏紀は初監督作品『J005311』でぴあフィルムフェスティバル(PFF)のグランプリを撮った才人であり、利重剛や大森立嗣も映画監督が本業だ。
あえて監督を俳優で起用することに意味があるのかは愚問だろう。塚本晋也監督自身、俳優として自作に限らず数多くの作品に出演し、役者としての仕事ぶりも一流だからだ。
少年の目を通しての反戦映画という点では、アニメではあるが『火垂るの墓』と通じるものがある。お盆の風物詩のようだった同作が、テレビ放映されなくなって久しいが、本作もその火を受け継ぐ佳作の一本だろう。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
テキ屋の男(森山未來)は何をしようとしていたのか。彼は優しそうな男(大森立嗣)が夫婦で暮らす屋敷を見張り、その存在を確かめると、テキ屋の男の名を伝えてヤツを呼び出すよう、少年に指示する。
優しそうな男はテキ屋の男の元上官だった。この上官の非道な指示に逆らえず、戦地で数々の惨い仕打ちをさせられて死んでいった戦友たちの仇をとることが、テキ屋の男の計画だった。
復讐は、この上官のせいで親友まで殺めることになった自分の恨みを晴らすものでもあった。金目当ての犯罪ではなかったのだ。
無事にカネをもらい仕事を終えた少年は、女の家に戻る。
「もう出てって!私の本当の子はいい子だった。あんたみたいじゃなかったのよ!」
突如女に追い出された末にこの仕事についた少年だったが、戻る場所はそこしかなかった。女は自分が伝染病にかかったことに気づき、少年にわざとつらくあたり、家から追い出したのだった。
「戻ってこれなかった兵隊さんは、怖い人になれなかったんだよ」
家に戻ってきた少年が、女にそう声をかける。
戦争は人を壊す。心を鬼にできなかった者は生還できず、運よくできた者もまた、遠くで聞こえる銃声に気が狂わんばかりに驚いたり、自分の犯した罪に苦しみながら生きていく。
突如豹変して女と少年を殺そうとした復員兵もまた、犠牲者の一人だった。少年は廃人のようになったその男に、彼の心の拠り所であった小学校の教科書を戻してあげる。
自分が闇市の中で生きていくのに精いっぱいなのに、他人を思いやる戦争孤児の少年の姿と眼差しが、何とも言えず眩い。