『破戒』
島崎藤村の代表作を60年ぶりに映画化。間宮祥太朗の主演で、現代の世に問う差別社会の問題。
公開:2022 年 時間:119分
製作国:日本
スタッフ 監督: 前田和男 原作: 島崎藤村 『破戒』 キャスト 瀬川丑松: 間宮祥太朗 志保: 石井杏奈 土屋銀之助: 矢本悠馬 猪子蓮太郎: 眞島秀和 丑松の父: 田中要次 風間敬之進: 高橋和也 蓮華寺住職: 竹中直人 住職夫人: 小林綾子 校長: 本田博太郎 勝野文平: 七瀬公 高柳利三郎: 大東駿介 教え子の祖父: 石橋蓮司
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- 派手さはないが、まじめに撮る文芸映画もたまにはいい。苦悩する好青年の教師を間宮祥太朗が好演。
- カミングアウトの覚悟と怖さを思い知る作品。最後にややウェットな人情ものになりすぎた感はあるが、全体としては真摯な取り組みが感じられる佳作。
あらすじ
亡くなった父から自身が被差別部落出身である出自を隠し通すよう強い戒めを受けていた瀬川丑松(間宮祥太朗)は、地元を離れてある小学校の教員として奉職する。
教師としては生徒に慕われる丑松だったが、出自を隠していることに悩みを抱いている。
下宿先の士族出身の女性・志保(石井杏奈)との恋に心を焦がす丑松だったが、やがて出自について周囲に疑念を抱かれるようになり、学校内での丑松の立場は危ういものになっていく。
苦しみの中、丑松は被差別部落出身の思想家・猪子蓮太郎(眞島秀和)に傾倒していく。
レビュー(若干ネタバレあり)
今の世に問う、『破戒』
恥ずかしながら、この歳になるまで島崎藤村の代表作『破戒』を読んだことがなかった。<破壊>と<破戒>の区別さえ、ついていなかった。
明治後期、部落出身の教員・瀬川丑松は父親から、けして身分を明かすなと堅く戒められてきた。だが、同じ被差別部落出身の思想家、猪子蓮太郎の著書に、強く心を動かされていく。
60年ぶりの映画化という触れ込みになっている。過去には、木下恵介監督版(1948)に市川崑監督版(1962)と、大御所による名作があるようだが、あいにく未見なので、本作には新鮮な気持ちで向き合うことができた。
◇
監督は前田和男。椎名桔平主演の半ドキュメント『発熱天使』(1999)、障害者の福祉啓発ドラマ『みみをすます』(2005)などの作品を手掛けるが、20年近くのブランクを経ての監督作品。
主演に間宮祥太朗、ヒロインに石井杏奈を起用してはいるものの、若手の人気俳優で観客動員をあてこんだ企画ならば、今時、こんな文芸ものは選ばないだろう。
だが、経緯は存じ上げないが、この時代にあえて『破戒』を再び世に出すという決断には、どこか応援したくなるものがある。
けして明かすな、隠し通すのだ
冒頭、主人公の瀬川丑松(間宮祥太朗)が逗留している宿屋で騒ぎが起きる。宿泊客の中に、穢多が紛れ込んでいるというのだ。裕福で金払いもいいのに、その老人(石橋蓮司)は、石もて追われる羽目になる。
その様子を、丑松は隠れるように見ている。彼は、同じ境遇であることを隠しながら小学校の教師をやっているのだ。
◇
「むやみにこの村に戻って来なくてよい。部落出身だという素性を決して明かすな。隠し通すのだ」
故郷を発つ際に、丑松は父親(田中要次)に強く言い聞かせられている。
自分の出自を隠し、師範学校を出て、彼は信州は飯山で小学校の教員をやっている。子供たちには慕われ、教師としての人望もある。
そんな優秀な若者である丑松が、自分の身分が発覚することを恐れ続け、そしてその秘密が思わぬところから綻びはじめ、やがて戒めを破らねばならぬ時がくる。
我々はハラハラしながら、この生真面目で心優しい若手教師の動向を見守ることになる。
形を変えて今なお続く差別社会
かつて学校で教わった<士農工商>という身分制度は、何年も前に教科書から記載削除されているそうだ。侍はともかく、百姓や町人に明確な上下関係はなかったというのが理由のようだ。
だが、その下にえた、ひにんと呼ばれる階層がいたことは、以前学んだことから変わっていない。漢字にすれば、穢多・非人。おどろおどろしい名称だが、幕藩体制維持のため,封建的身分制の最下層に位置づけられた、いわれのない賤民階級である。
本作においても、丑松をはじめ、部落出身者は不条理な差別に苦しんでいるわけだが、我々はそれを、遠い過去の出来事のように傍観してはいけない。
当時に比べればましになったのかもしれないが、部落出身者等の差別問題は、今なお根絶されたとはいえず、人権研修などでも頻繁に取り上げられる課題になっている。
また、時代の変化にともない、例えばLGBTのような、以前とは異なる差別の火種も日常社会に登場してきている。
本作で丑松が直面する、戒めを破るべきかの葛藤は、現代でいう、「カミングアウトしても大丈夫か」という悩みと同根であり、島崎藤村が当時社会に投げかけた問題は、今日でも我々が対峙しているものでもあるのだ。
みんなが高い教育を受けられるようになれば、差別はなくなると信じている丑松。だが、彼が心酔している思想家の猪子蓮太郎(眞島秀和)は、言う。
「部落が槍玉にあげられなくなっても、次の差別が登場するだけかもしれない。人は弱いから差別を生むのだ」
なんと鋭く、そして残酷な言葉だろう。
キャスティングについて
日々子供たちに学問を教えている丑松に、自分の出自が発覚しそうになる危機が徐々に近づき、正義感の強い彼が、どこまで嘘をつき通せるかというスリリングな展開。
映像的な派手さには乏しく、地味な作品ではあるが、いたずらに観客に媚びることなく、文芸作品としての矜持を持ちながら、落ち着いた演出とカットでドラマを紡いでいく。
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丑松役の間宮祥太朗は清潔感のあるイケメンであるが、本作では役柄もありキラキラ感は抑え目、後半に向けての感情の昂りもしっかりと演じられており、とても良かった。
彼の熱演のおかげで、本作に独特の気品が生まれたように思う。『東京リベンジャーズ』のキサキ役とはあまりに違うキャラなので驚く。
丑松の住む寺の養女として、彼の世話をしてくれる志保(石井杏奈)。実父・風間敬之進(高橋和也)は士族出身の老教師だが、子供が多く家は貧苦に苦しみ、志保が寺に出された。恋愛ドラマではないので、ヒロインとしては見せ場がやや控えめ。
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丑松の同僚で親友の土屋銀之助に矢本悠馬。丑松が穢多だとは露ほども疑うことなく接している明朗快活な教師。いかにも矢本悠馬らしい陽キャラだが、親友の出自を知った時に、どのような反応を見せるのか、ある意味一番スリリングな存在。
東京から赴任してきた同僚・勝野文平(七瀬公)は、校長のお気に入りのエリート教師。丑松と仲の良い志保に横恋慕し、ひょんなことから丑松の秘密に近づく。本作で一番の下衆野郎として描かれているが、七瀬公の憎たらしさがなかなかいい。この俳優は、覚えておこう。
その他、長いものに巻かれる頼りない校長の本田博太郎はいつものお得意なポジション。文芸作品だから、アドリブ暴走はしない。その点は、住職の竹中直人も同様。
高柳議員(大東駿介)は、選挙資金目当てに部落出身の妻を娶った。何の思想もない俗物として描かれている。
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高柳の対抗馬議員を応援しているのが眞島秀和演じる思想家の猪子蓮太郎。「我は穢多なり」と自分の出自を包み隠さず明かす激しい活動家。彼に心酔する丑松とは静と動の関係だが、この猪子蓮太郎の言動に、丑松は大いに感化される。
気になった点
ここからはネタバレになる。本作は原作を真摯にとらえ、抑制の効いた作品として好印象をもって観たが、二つほど気になった点がある。
一つは、丑松が戒めを破って自分が部落の出だと吐露しようとすると、「隠し通せ、丑松!」とエコーのかかった父親の声が天から聞こえる演出。まるで正体を明かせず苦悩する特撮ヒーローのようで、どこか滑稽に思える。
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そしてついに丑松が教室の生徒たちに自分の正体を語る場面。ここは気迫あふれる間宮祥太朗の演技と、涙に濡れる子供たちの印象的な場面。
過度に泣かせの演出になっていないのは好感だったが、その後がダラダラと長い。街を去っていく丑松と見送る子供たちの場面は原作にもあるが、冗長すぎる。
教室のカミングアウトがヤマ場であるならば、ここはもっと淡泊に終わらせた方が良かった。ラストだけがベタなメロドラマになってしまった。
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とはいえ、全体を通じて、文芸作品の名に恥じない出来だったと思う。エンタメ作品ではないからか、公開時にはあまり話題にあがらなかったのは勿体ない。こういう作品も、灯を絶やさずに撮り続けてくれることを願う。