『未完成の映画』
⼀部未完成的電影 An Unfinished Film
ロウ・イエ監督が映画製作のチームが体験したコロナの恐怖を描くモキュメンタリ―。
公開:2025年 時間:107分
製作国:シンガポール・ドイツ
スタッフ
監督: ロウ・イエ(婁燁)
キャスト
ジャン・チョン: チン・ハオ(秦昊)
サン・チー: チー・シー(斉渓)
シャオルイ:マオ・シャオルイ(毛小睿)
イエ・シャオ:ホアン・シュエン(黄軒)
アジェン: リャン・ミン(梁鳴)
タン: チャン・ソンウェン(張頌文)
勝手に評点:
(一見の価値はあり)

コンテンツ
あらすじ
2019年、10 年間電源が入っていなかったPCを起動した監督のシャオルイ(マオ・シャオルイ)は、中断された映画の撮影を再開するため、キャストとスタッフを集め説得する。
2020年1月、撮影がほぼ完了した矢先、新種のウイルスに関する噂が広まり始める。不穏な空気が漂う中、武漢から来たヘアメイクが帰宅を余儀なくされ、スタッフ達はスマホでニュースを追い続ける日々を送る。

一方、シャオルイ監督は再び撮影を中断するかどうかの決断を迫られる。そんな中、一部のスタッフと俳優はホテルが封鎖される前の脱出に成功するものの、残ったスタッフはホテルの部屋に閉じ込められたまま、すべてのコミュニケーションがスマホの画面だけに制限される。
そして武漢はロックダウン。スタッフたちはビデオ通話を通じて連絡を取り合い、ホテルに閉じ込められたままの主演俳優のジャン・チェン(チン・ハオ)は、北京で1か月の赤ん坊と共に部屋に閉じ込められている妻サン・チー(チー・シー)を元気づけようと奮闘する。
レビュー(若干ネタバレあり)
中国映画にはできなかった内容
現代の中国映画界を代表するひとり、ロウ・イエ監督がコロナ禍の不安や恐怖を描いたモキュメンタリ―映画。近代から現代中国の恋愛ドラマを大胆なタッチで描く監督の作風からすると、やや異端な感じではある。
天安門事件を扱って中国では上映禁止になった『天安門、恋人たち』のように、本作もまた、武漢のコロナ騒動などという物騒な題材は撮りにくかったのだろうか。映画はシンガポールとドイツの合作になっている。
◇
映画は10年ぶりにPCに電源を入れるところから始まる。当時、撮影途上でお蔵入りになっていたクイア映画のデータが、無事な状態で保存されている。
映画監督のシャオルイは、離散したスタッフとキャストを呼び寄せて、この映画を完成させようと言い出す。
「今更そんなものを意地になって撮り直してどうなる。当局の許可がおりる内容ではなく、上映もできない。自己満足でみんなを苦労させるだけだ」
今も俳優業を続けている、主演のジャン・チェン(チン・ハオ)が監督に直談判するが、結局年末の休みを使って短期間で撮る話に付き合うことになる。
◇
こうして、未完成の映画の撮影が再稼働する。長年未完成のままだった映画に対峙する監督の話というと、ヴィクトル・エリセの30年ぶりの新作『瞳をとじて』を思わせる。
10年前に撮った映像には、実際にロウ・イエ監督が過去の作品で撮ったが採用されなかったものが使われているようだ。だから、チン・ハオや他の俳優たちの本人映像が使われている。
同じく中国映画作家のジャ・ジャンクーの新作『新世紀ロマンティクス』、レオス・カラックスの新作『IT’S NOT ME』と、先月だけでこの手の過去映像を使う手法を2回も見ている。
どの監督も長年同じ俳優を起用し続けているので、過去映像の使いまわしがしやすいのだろう。
映画よりもコロナ禍
だが、実のところ、未完成の映画を撮ること自体にあまりロウ・イエの関心はなさそうで、コロナに翻弄させられる日々を描くためのお膳立てでしかないように見える。
現に、中盤以降は、撮影もままならなくなるし、撮り終えた作品がどうなったかについても、大して触れられていないのだ。もっとも、そこが不満だと言いたいわけではない。

世界中の人々にとって、このコロナの恐怖は突如日常生活に襲い掛かってきたものであり、つい数時間前まで普通に撮影の準備をしていたメンバーが、急遽自由な行動さえできなくなってしまう展開は、その衝撃を生々しく伝えるのに効果をあげている。
武漢出身のスタッフにホテルの宿泊許可がおりず、国道には検問渋滞のようなものが発生し、マスクは品薄状態になり、咳き込むスタッフが急に倒れ、そしてホテルは突然の封鎖命令で誰も外に出られなくなる。
我々が見慣れていたパニック映画と異なり、このディザスターは実際に当時に発生したものであり、記憶にも生々しい。
武漢のコロナ映像の記録となるか
ほんの一瞬の差で、ホテルの外に出られたスタッフと、中に取り残された監督や主演俳優たち。
そこから先、部屋に缶詰になった主演俳優のジャン・チェンは、出産したばかりの妻サン・チー(チー・シー)のもとに帰ることもできず、スマホで会話をして元気づけるだけの毎日。
部屋の前には防護服のホテル従業員が、食事を届けてくれ、一歩も外に出られずストレスがたまる。接触がないため感染することはないが、退屈を克服するために、オンライン飲み会で鬱憤を晴らし、飲んで踊りまくるメンバーたち。
そこだけを見れば、何かスリリングな出来事が彼らを襲うわけではなく、パニック映画としては物足らない部類。
だが、それはコロナ禍が一段落した今だからいえること。当事者は得体の知れない恐怖を感じていたはずだし、コロナが終息したのかだって、誰も分からない。
この映画には、実際に武漢で起きたと思われることが、映像付きでいろいろと紹介される。
武漢の町が封鎖され、道路には何台もの消毒撒布車が走り、はじめに警鐘を鳴らした医師はコロナ感染で亡くなるが、追悼のトランペットの音色が町に流れる、封鎖された市民は暴動のように荒れ狂い、死者を弔うために町中の赤信号が3分間灯る。

私を含め多くの日本人は、豪華客船ダイヤモンドプリンセスの集団感染や国内のコロナ禍についてはよく見聞きしているが、中国政府から情報がほとんど提供されなかった武漢の出来事については、ほとんど知らない。
だから、たとえモキュメンタリ―とはいえ、このような映画が撮られることには、この災禍を風化させないためにも意義がある。
なお、そのダイヤモンドプリンセスを扱った映画『フロントライン』は6月公開。今年はこの手の映画が増えるのかも。