『そして、バトンは渡された』
瀬尾まいこの本屋大賞受賞作を永野芽衣主演で映画化。原作未読でただ泣きたい人向け。
公開:2021年 時間:137分
製作国:日本
スタッフ
監督: 前田哲
脚本: 橋本裕志
原作: 瀬尾まいこ
『そして、バトンは渡された』
キャスト
森宮優子: 永野芽郁
森宮壮介: 田中圭
早瀬賢人: 水上恒司(岡田健史)
みぃたん: 稲垣来泉
梨花: 石原さとみ
水戸秀平: 大森南朋
泉ヶ原茂雄: 市村正親
家政婦の吉見さん: 木野花
早瀬の母: 戸田菜穂
勝手に評点:
(私は薦めない)
コンテンツ
あらすじ
血のつながらない親に育てられ、4回も名字が変わった高校生の優子(永野芽衣)は、訳あって料理上手な義理の父・森宮さん(田中圭)と二人で暮らしていた。
卒業式に向けてピアノを特訓する彼女だが、将来のことやピアノが得意な早瀬くん(水上恒司)のことが気になったり、クラスメイトにいじめられたりと、悩みは多い。
一方、何度も夫を替えながら自由奔放に生きる女性・梨花(石原さとみ)は、娘のみぃたん(稲垣来泉)に愛情を注いで暮らしていたが、ある日、愛娘を残して失踪する。
今更レビュー(ネタバレあり)
原作に敬意を
久しぶりに酷評するに足る映画を観た気がする。ただの泣かせ映画だ。臆面もなく「もう一度見て、もっと泣く」などという宣伝フレーズを使うくらいなのだから、泣ける映画が偉いとでも思っているのだろう。
オリジナル脚本なら、それでもいい。好き勝手にやってくれればいい。
だが、一応この映画は、瀬尾まいこが本屋大賞を受賞した大ベストセラーの映画化なんだよね?ここまで方向性を変えて、クサくて長ったらしいお涙頂戴映画にしてしまって、原作者に敬意というものはないのだろうか。
すっかりおバカコメディの監督慣れしまった前田哲監督の考えなのか、脚本が悪いのか、私には、製作陣が原作未読なんじゃねえかという疑念まで生じた。
瀬尾まいこ原作の映画化は他にも何本かあるが、例えば本年映画化された上白石萌音と松村北斗の『夜明けのすべて』(三宅唱監督)などは、きちんと原作と向き合った納得のいく作品だったと思う。
翻って本作はどうだ。
泣かせと映画的なサプライズを優先するあまり、本来原作が持っていた温かい雰囲気やキャラクターの善人ぶりが軽視され、後半に至っては唖然するような改変により、ただひたすらダラダラと流れる昼メロ的な芝居に付き合わされる。
これで137分だよ、勘弁してほしい。普段は禁じ手にしている倍速ボタンに手が伸びそうになった。
過去とのサプライズ繋ぎ必要?
どうも今回はネタバレなしで語れそうにないので、初めからネタバレで。未見・未読の方はご留意ください。
はじめに主人公・森宮優子(永野芽郁)の両親の変遷を説明しておくと、幼い頃に母親が亡くなり、父・水戸秀平(大森南朋)がある日突然、華やかな女性・梨花(石原さとみ)を連れてきて再婚。
水戸はブラジルに暮らすこととなり、日本に残るという梨花と離婚。優子は梨花との生活を選ぶ。
やがて、ピアノを習いたいという優子の要望に応えるべく、梨花は妻を亡くした資産家の泉ヶ原茂雄(市村正親)と再婚。不自由のない暮らしをするも、すぐに息苦しさを感じ、梨花は失踪。
しばらくして優子を連れ戻しに現れ、今度は同窓会で捕まえた森宮壮介(田中圭)と再婚。だが、優子が中学生の頃、梨花は再び失踪し、その後、血の繋がらない父娘の生活が続く。
母二人、父三人がバトンを繋ぎながら、優子を育ててきたが、みんなから愛情を注がれてきた彼女は、いわゆる再婚家庭の苦労とは無縁だ。
映画はまず、森宮と暮らす高校生の優子と、水戸と梨花に育てられる幼いみぃたん(稲垣来泉)のドラマを交互に見せていく。両者の関係性が分からないように組み立てて、森宮の職場に梨花が訪ねてくるカットで初めて両者をつなぐ。
森宮が優子にレストランで誰かを会わせようとする場面があり、そこに梨花が来ることを匂わせるも、本人は現れない。このネタは中盤までひっぱり、梨花と結婚する当日に、森宮は初めてみぃたんと出会う。
こんな手の込んだ構成は原作にはないし、「優子=みぃたん」のサプライズって必要か?ていうか、バレバレだし、無駄に複雑にしているのでは。そもそも大勢いる原作読者には、初めから分かっていることで、もどかしいだけだ。
愛情を注ぐ母・梨花
キャラクターのデフォルメが目に余る。
まずは母親として誰よりも優子に愛情を注いだ梨花。派手好きで明朗な梨花役に石原さとみは合っていた。
だが、冒頭の同窓会での男漁り、シャンパン好き、連れ子がいることを伏せての森宮との結婚(「言ってなかったっけ?逃げるなら今だよ」)等など、原作比嫌われ度全開。
◇
自分が子供を産めないから優子に愛情を注ぎ、病気だから黙って身を引く。その我儘さは原作でも同じ行動原理だが、結局、大人になって早瀬(水上恒司)と結婚する優子との再会を待たずに梨花の訃報が届く。
原作では病室での心温まる再会があり、梨花は結婚式にも出席していたはず。泣かせるためにメインキャラを殺してしまう横暴さに唖然。
大体、病死する間際にウェディングドレスを見に行くシーンにしても、石原さとみの血色良すぎで、病人に見えない。『ミッシング』(𠮷田恵輔監督)での彼女の体当たり演技に比べると、演出あまいんじゃないか。
三人の父親たち
実の父親である水戸秀平に大森南朋。突然家族に何も告げずに会社を辞め、ブラジルでカカオ豆の工場をやるという。
日本に残るかどうか、子供に選択させるのは酷というものだが、「本当の親は俺だぞ」という台詞が妙に引っ掛かった。この時点で、水戸はただの我儘オヤジだからだ。
原作での水戸は、もっと善人だったはずだ。ブラジル行きも会社の辞令であり、自分の夢のために家族を犠牲にするのではない。
「優ちゃんとお父さんは本当の親子だし、ブラジルは遠いけどお父さんと行くのが一番だと思う」
娘への言い回しだって、映画よりも節度がある。
結局、ブラジルに行った水戸と優子は、毎週のように手紙を書き続けるが、全て梨花が握りこんでしまい、連絡は途絶える。これも心無い行為だと思う。原作よりも非道に思えたのは、梨花のキャラ変のせいか。
長年消息不明だった水戸が青森で家庭を築いていると知り、優子たちが結婚の報告にいく。このオリジナルの場面は良かったが、青森でリンゴ農家をやる水戸の子供たちに津軽訛りがないのは、手抜きだと思った。
◇
ピアノ目当ての再婚相手、大富豪の泉ヶ原茂雄に市村正親はハマっていた。彼だけは、原作のように掛け値なしにいい人で安心できた。
石原さとみと市村正親が並んで立っていると、まるで『あしたが変わるトリセツショー』のようだが、映画の方が早い。
そして、みんなのバトンを受け継ぎ、ちゃんとした父親として優子を育て上げた森宮壮介に田中圭。ちょっと原作イメージとは違ったが、田中圭も良い。
ただ、原作キャラはもっと間抜けなとことがあり、優子の親友たちがきた時の対応や料理の内容などにも、ツッコミどころが多い、愛されキャラだった印象。それに比べると映画の森宮さんは、真面目すぎか。
さっさとバトンを渡してほしい
優子役の永野芽衣は、文句なしの配役。彼女の存在のおかげで、映画は一応作品として成立している。まだ、この当時の永野芽衣は綾瀬はるか似ではないのが興味深い。
普通は活躍するにつれて、誰々似からその人物の個性が浸透してくるものだが、彼女の場合は逆パターンなのか。
優子はつらい時にも笑顔をふりまく愛されキャラなのだが、梨花の病気に気づかず優子と再会をさせられなかった森宮に対し、「森宮さんのせいじゃん!」と涙ながらに責めるのは厳しい。原作には勿論、こんな台詞はない。
◇
優子の婚約者となる、ピアノの才能を捨てて料理人になろうとする早瀬(水上恒司)も、イケメンだけどかっこよすぎて、本来の料理下手なのに料理人を目指す無謀さとかがあまり表現されず。彼も森宮同様に「真面目かっ」と言いたくなるキャラ。
そしてラストは結婚式。いやあ、長い長い。新旧父親三人でバージンロードをバトンリレーするわけもなく、現役父の森宮に委ねられるのは原作通り。
だが、「優子ちゃんを幸せにするバトンを引き継ぐぞ、そっかり受け取れよ」的なクサい台詞を森宮に言わせちゃう。ここは演技で表現してほしい。心情は全て台詞にしろと教わったのか。
早瀬も最後の独白で「バトンが渡された」とか語っちゃうんだけど、原作ラストでの、バトンについて何も触れない奥ゆかしさとは程遠い印象。
そして、この結婚式シーンで最大の違和感は、ド派手な梨花の遺影をもって、父親たちが参列している中、優子を産んで早逝した実の母親の遺影を、誰も持っていないことだ。何と薄っぺらい映画だろうと思ってしまった。