『探偵マーロウ』
Marlowe
チャンドラーの遺族公認続編を映画化し、探偵フィリップ・マーロウが甦る。演じるはリーアム・ニーソン。渋いぜ。
公開:2023 年 時間:109分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: ニール・ジョーダン 原作: ベンジャミン・ブラック 『黒い瞳のブロンド』 原案: レイモンド・チャンドラー キャスト フィリップ・マーロウ:リーアム・ニーソン クレア・キャヴェンディッシュ: ダイアン・クルーガー ドロシー・クインキャノン: ジェシカ・ラング ルー・ヘンドリックス: アラン・カミング セドリック: アドウェール・アキノエ=アグバエ フロイド・ハンソン:ダニー・ヒューストン バーニー・オールズ: コルム・ミーニー ニコ・ピーターソン:フランソワ・アルノー
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- リーアム・ニーソン、年齢的にマーロウやれるか心配したが、意外と身のこなしも軽く、老探偵設定も悪くない。チャンドラー原作ではないが、マーロウに新作があるのは嬉しいものだ。
- アルトマンの『ロング・グッドバイ』ファンとは相性が悪い気はする。遊び心が減った分、正統派の雰囲気づくりの努力が窺えた。
あらすじ
1939年、ロサンゼルスに事務所を構える探偵フィリップ・マーロウ(リーアム・ニーソン)を訪ねてきたのは、見るからに裕福そうなブロンドの美女クレア(ダイアン・クルーガー)。
「突然姿を消したかつての愛人を探してほしい」
依頼を引き受けたマーロウだったが、映画業界で働いていたというその男はひき逃げ事故で殺されていた。マーロウは捜索を進めるうちに、映画産業が急成長するハリウッドの闇に飲み込まれていく。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
まさかマーロウに新作で会えるとは
まさかフィリップ・マーロウの新作映画にお目にかかれるとは思わなかった。それも原作は最新長編、主演はリーアム・ニーソン。
監督はニール・ジョーダン。『クライング・ゲーム』(1992)や『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(1994)あたりが有名だが、前作の『グレタ GRETA』(2019)では名女優イザベル・ユペールの怖さを見事に引き出しており、個人的には結構好き。
◇
レイモンド・チャンドラー先生はとうの昔に鬼籍に入っているのに、なぜ新作かというと、傑作『ロング・グッドバイ』に遺族公認の続編が存在するのだ。ブッカー賞作家ジョン・バンヴィルがベンジャミン・ブラック名義で著した『黒い瞳のブロンド』がそれである。
原作を読み始めた途端に、チャンドラーの新作を読んでいるような心の高揚が甦る。懐かしい文体と気の利いたマーロウの台詞。
原書で読んでいる訳ではないので、これは訳者の小鷹信光氏の仕事のおかげであろう。映画においても、同じように、21世紀の現代に戦前のLAと我らがマーロウが帰ってきたような気持ちになる。
年齢をはねのける心身の鍛錬
1939年、ロサンゼルスに事務所を構える探偵フィリップ・マーロウ(リーアム・ニーソン)。依頼人はブロンドの美女クレア・キャヴェンディッシュ(ダイアン・クルーガー)。
消えた愛人を探してほしいという仕事の依頼を、なんだかんだ言いながら引き受けてしまうのは、女に弱いマーロウのお馴染みの導入部分。
リーアム・ニーソンも御年70歳を越える。さすがに探偵フィリップ・マーロウを演じるには高齢すぎやしないかと不安はあったが、スクリーンで観ると、思ったほど老いぼれではない。
それどころか、ハードボイルドここにありと言わんばかりの、荒っぽいアクションやガンファイトなどもしっかり見せてくれる。さすがジェダイ・マスターは心身の鍛え方が違うようだ。
過去の映画化作品では若き日のマーロウが必ずしもよい訳ではなく、『さらば愛しき女よ』(1975)でマーロウを演じたロバート・ミッチャムも、そこそこ年を喰っていたが、歴代マーロウでは一番のお気に入りだ。
彼に比べても、リーアム・ニーソンは見劣りしない。高身長というのも、やはりマーロウには欠かせない特徴だと思う(『三つ数えろ』(1946)のボギーは自虐的だった)。ちなみに、本作はリーアム・ニーソンの100本目出演作になるそうだ。
依頼人女性と深い仲になることは本シリーズではよくあることだが、今回のマーロウとクレアの仲は一定の節度を保っている。なにせ、「君は私の半分くらいの年齢だろう」というほどの年齢差だ。
マーロウ60歳代、クレアは30歳前後の設定か。クレアの母親は大女優ドロシー・クインキャノン(ジェシカ・ラング)。映画館でお目にかかるのは久々だ。
そもそも、リーアム・ニーソンとジェシカ・ラングは、かつて『ロブ・ロイ/ロマンに生きた男』(1995)で夫婦役を演じている間柄。マーロウとクレアでは本当に父娘のような世代差なのだから、深入りしないのも肯ける。
ベイ・シティの美しい町並み
映画の舞台はLAの架空の町ベイ・シティ。映画スタジオの虚構と麻薬犯罪にまみれた美しい町。スペインはバルセロナをロケ地にこの1939年のLAを再現したそうだが、これは実に見事だ。
勿論、ハリウッド映画の手にかかれば、いつの時代の街並みも再現はできるのだろうが、本作の舞台はいかにも頑張ってCGやセットでこしらえましたという、これ見よがしなドヤ顔感がない。
クラシックな自動車たちも、ごく普通に走っているし、慎ましい感じが心地よい。戦前の街並みは色付きではあるが、まるでモノクロのフィルムノワールを観ているような錯覚に陥る。
事件の流れについて詳細は伏せるが、現代に書かれた原作とは言え、今風な複雑なトリックがある訳ではない。
また、カルト的な人気を持つ、ロバート・アルトマン監督の『ロング・グッドバイ』(1973)に比べると、遊び心とマーロウの若さに物足りなさを感じる人もいるだろう。
ただ、原作ファンの私としては、あの映画はトホホな出来映えだった。その点、本作はマーロウの作品としてはきちんと推理の破綻なく、キャラの崩壊もなく、事件解決に到達しており、その点は評価できる。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見・未読の方はご留意ください。
ギムレットには遅すぎる
ネタバレというのとは少し違うのだが、本作は原作とひとつ大きな相違がある。
原作は『ロング・グッドバイ』の公認続編という立場ゆえか、死んだはずだが生きている愛人探しの依頼から、全く無関係と思われた『ロング・グッドバイ』の主要メンバーが終盤に絡んでくる。
そこに必然性があるかと言われると微妙なところだが、少なくともベンジャミン・ブラックが苦労して書いたであろうこのポイントを、映画では完全に無視しているのだ。
皮肉なことに、それによってストーリーが破綻することはなく、従ってここは好みが分かれる点かもしれない。
私は原作を読んだときに、そこまで無理して過去作にしがみつかずに、独立したストーリーとして書けばいいのにと思った。だから、映画の展開には、そこそこ納得している。
◇
そもそもアルトマン監督の『ロング・グッドバイ』では確か、ラストに怒りにまかせてマーロウが主要登場人物である古い親友を射殺してしまったのではなかったか。
ニール・ジョーダン監督はこのアルトマン監督作品が好きだったというから、この死んだはずの親友を続編に出すことには抵抗があったのかもしれない。
良かった点、残念な点
闇の実業家ルー・ヘンドリックス(アラン・カミング)のお抱え黒人運転手のセドリック(アドウェール・アキノエ=アグバエ)が、物語の途中からマーロウのサイドキックの役割を担う。これは映画オリジナルのキャラだが、なかなかいいコンビだ。
先程、映画の展開にそこそこ納得していると書いたが、その理由は、クレアがファム・ファタールぶりを発揮して独り勝ちするラストシーンが胸糞悪いからだ。断ったとはいえ、この女に再就職先を紹介されるマーロウなど見たくない。
◇
原作にはチャンドラーを意識したような決め台詞はない。さすがにベンジャミン・ブラックも、そこまでは真似したくなかったのだろう。
映画になると、飲酒はともかく、喫煙シーンの多さに辟易する。サマになっているし、時代的にもおかしくはないのだろうから、殊更それを責めるつもりはないが、昔のひとってこんなに四六時中タバコ吸ってたのかと、驚かされた。
ちなみに、原作の『黒い瞳のブロンド』とは、依頼人クレア(母親もか)のことだが、金髪なのに瞳が黒い組み合わせが神秘的なのだそうだ。ブロンドに染めてる日本人は大抵この組み合わせだから、この国では神秘的には感じないけれど。