『グラン・ブルー/グレート・ブルー』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『グランブルー/グレートブルー』今更レビュー|長距離潜水士の孤独

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『グラン・ブルー/グレート・ブルー』 
 Le Grand Bleu

リュック・ベッソン監督がジャック・マイヨールとエンゾ・マイオルカをモデルに描く天才ダイバーの物語

公開:1988 年  時間:168分(完全版)  
製作国:フランス・イタリア
 

スタッフ  
監督・脚本:     リュック・ベッソン
撮影:        カルロ・ヴァリーニ
音楽:          エリック・セラ

キャスト
ジャック・マイヨール:
         ジャン=マルク・バール
ジョアンナ・ベイカー:
         ロザンナ・アークエット
エンゾ・モリナーリ:    ジャン・レノ
ロベルト:        マルク・デュレ
ローレンス博士:    ポール・シェナー
ノヴェリ:    セルジオ・カステリット
ルイ叔父:       ジャン・ブイーズ
ダフィー:       グリフィン・ダン

勝手に評点:3.5
  (一見の価値はあり)

(C)1988 GAUMONT

あらすじ

1965年、ギリシャのキクラーデス諸島で少年のジャックはエンゾと出会った。そこで二人は初めて潜りを競うが、翌日、ダイバーであるジャックの父の死を目撃し、大きな衝撃を受ける。

1987年、いまや一流ダイバーとなったエンゾ(ジャン・レノ)は、稼いだ金をつぎ込んでジャック(ジャン・マルク・バール)の行方を探していた。ジャックとダイビング選手権に出場して勝利すること、それがエンゾの夢だったのだ。

一方ジャックは水族館のイルカだけを友として静かに暮らしていた。そんなジャックと出会ったニューヨーク生れのジョアンナ(ロザンナ・アークェット)は、彼の不思議な雰囲気にひかれていく。

今更レビュー(ネタバレあり)

ディレクターズ・カットにしてよ

実在の天才ダイバー、ジャック・マイヨール(仏)とエンゾ・マイオルカ(伊)をモデルに、フリーダイビングの世界記録に挑むライバルの友情を描いた作品。

リュック・ベッソンの代表作のひとつでありながら、エンタメアクションやバイオレンスの多い彼の作風からは、唯一異端といえる

今の時代、このタイトルはグラブル『ぐらんぶる』と混同されてしまいそうだが、公開当時はフランスの若者を中心に大きなヒットとなったと聞く。

(C)1988 GAUMONT

当時公開された映画は、フランスでは『グラン・ブルー』(132分)、日本を含む海外では『グレート・ブルー』(120分)。そこに未公開シーンが加えられた『グラン・ブルー グレート・ブルー完全版』(168分)が、いま世間で最も出回っているバージョンと思われる。

今回はその完全版のレビューだが、はっきり言って、これは冗長だ

だって、リュック・ベッソン監督自身が厳選してカットしたものを、誰かがご丁寧に戻してしまったわけだから。想像するに、観るべきはディレクターズカットのオリジナル版(132分)なのだろう。

二人のライバル、そして恋人

本作の魅力はなんといっても碧く輝くシチリアの海の中でフリーダイビングに挑んだり、イルカと戯れるジャックを幻想的にとらえた映像の美しさだろう。水中シーンを観ているだけで、満足してしまう。そこにかぶさる、エリック・セラの音楽も素晴らしい。

冒頭は1965年のギリシャでの少年時代。物静かで小柄なジャックと、ガキ大将のエンゾが出会う。ともに相手の素潜りの才能を感じ取る。

そして舞台は1987年のシチリアへ。モノクロの画面は、ここで初めて鮮やかな色を帯びる。だが、登場するのは主人公ではなく、ライバルのエンゾ(ジャン・レノ)の方。彼はダイビングのチャンピオンになっていた。稼いだ金で、ジャックの行方を捜しているのだ。

そして、そのジャック(ジャン=マルク・バール)は、ペルーで氷の海に沈んだ船のサルベージをやっている。そこに保険会社の調査員ジョアンナ(ロザンナ・アークエット)がNYからやってきて、彼の不思議な魅力に惹かれていく。

(C)1988 GAUMONT

こうして主要メンバー三人が登場する。話のプロットとしては、かつての幼馴染がダイビング大会でしのぎを削り合うスポーツドラマのようにみえるが、実はまったく違う。

ジャックは素潜りの天才であり、まるで水中で生活するがごとく、労せずして記録を更新していく。一方のエンゾも天才なのだろうが、物語の展開上は、彼の記録を次々とジャックに破られるような流れになっている。

ただ、それで激昂したり、卑劣な手に出たりというのではなく、自分が再びこの世界に引っ張り出してきたジャックに、友情をもって接し、プレゼントまであげたりと、器の大きさを見せる

本作の主役はあくまでジャック・マイヨールのため、自分は悪く描かれているとエンゾ・モリナーリ本人が語ったそうだが、傍目にはエンゾの方が人間味のある魅力的なキャラに見える。

ジャン・レノは儲け役だ。宮崎駿が描きそうな人物と思えるのは、けしてエンゾがチンクエチェントに乗っているからだけではない。

フリーダイビングってどうよ

ジャックたちが取り組んでいるフリーダイビングの競技は、スポーツとして映画的には不向きに思う。どうみたって、盛り上げにくい。

予め水深何メートル毎にボンベを背負った審判が配置され、ロープで牽引されて潜ってくるダイバーが限界まできた時に深度の書かれたプレートを渡す。ダイバーはそれを持って水面に上がる。静かなスポーツだ。

当然、深度の大小で勝敗が決まる訳だが、それで一喜一憂するようなスポーツドラマの盛り上げ方を本作では採り入れていない。無理すればできないことはなさそうだが、それでは映像が嘘くさくなる。

だが、勝敗の盛り上がりを除けば、フリーダイビングは映画的な素材だ。海の中は広大だが、ボンベもなく潜水することは、閉所恐怖症気味の私には、たまらなく怖い。

何せ、スキューバダイビングでも息苦しさを感じてしまうほどの身には、このダイビングの映像には、緊張感が漂う。それは映画にも効果を生む。

加えて、この競技は、海面に上がれるだけの息を残して、どこまで潜れるかを自ら決めなければいけないチキンレースなのだ。

ダイビングだけでは、気が休まらない映画になってしまうところだが、時おりイルカたちが癒してくれるのがありがたい。月夜の海でジャックと楽しそうに高い周波数で鳴きまくる泳ぎイルカたちの、なんと愛くるしい事よ

(C)1988 GAUMONT

僕の家族はイルカだけ

本作におけるリュック・ベッソンの作風は、その公開翌年にデビューする北野武監督にも影響を与えたのかもしれない。グランブルーからキタノブルーに繋がるわけではないが、美しい海を舞台にしているだけでなく、エリック・セラの音楽と久石譲のそれともどこか類似性を感じる。

ジャックとエンゾが水族館のイルカを担架を使って夜の海に運び出すシーンは、『あの夏、いちばん静かな海。』でサーフボードをかついで縦に並んで歩く男女を思わせる。本作で唯一笑いを取りに行き、すべっている日本チームの競技シーンも、どこかたけしのコントっぽい。

イタリア人らしく、口数が多く、マザコンで、言動が分かりやすいエンゾに比べ、無口で、イルカだけを家族に天涯孤独のジャックの内面は、謎に満ちている。

積極的なジョアンナとの相思相愛は成就することができたけれども、結局最後まで、ジョアンナはジャックを理解できずにいる。妊娠したことを伝えようとしても、それが彼の耳には届いていないのか、聞いていても反応を見せない。

俺を海に戻してくれ

以下、ネタバレになります。本作の終盤、ジャックの打ち出した記録が人間としての限界だと大会の中止をドクターが提言する。だが、それを無視してエンゾは海に入り、結局帰らぬ人となる。

水中で危篤状態のエンゾをジャックが救出するが、「俺を海に戻してくれ」と言い残して、エンゾは息絶える。

そのまま、すぐに海に放り込んでしまうジャックもどうかと思うが、このシーンはライバルの死にしてはあまりにあっけない。168分もあるのなら、ここはもう少し盛り上げようがあったのではないか。

親友を失ったジャックが、精神的に押し潰されそうになる状況を、寝室の天井から海面が迫ってくる映像で表現する。これは合成ではなく、セットを上下逆さまに組んだアナログな特撮だ。

クリストファー・ノーラン監督が『インセプション』で見せた特撮と原理は同じだが、素朴なローテクのおかげか、前後のシーンとの違和感なく収まっている。

最後に、何かに取り憑かれたように、夜の海に船を出し、水中に潜っていくジャックの目には、もはや泣き叫ぶジョアンナは見えていないようだ。

深い海の底で、彼はイルカに遭遇し、ともに闇に消えていく。これは、どう見たって死を暗示している。ラストに主人公が生きていられないところまで、北野作品と共通しているようだ