『1秒先の彼女』
消失的情人節
七夕バレンタインの大事な一日が消えてしまった。冴えないOLの主人公が冒険の最後に気づく大切なものとは?
公開:2021 年 時間:119分
製作国:台湾
スタッフ 監督: 陳玉勲(チェン・ユーシュン) キャスト ヤン・シャオチー: 李霈瑜(リー・ペイユー) ウー・グアタイ: 劉冠廷(リウ・グァンティン) リウ・ウェンセン: 周群達(ダンカン・チョウ) ペイ・ウェン: 黒嘉嘉(ヘイ・ジャアジャア)
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
郵便局で働くシャオチー(リー・ペイユー)は、仕事も恋も冴えない日々を送っていた。ある日、彼女は街で出会ったハンサムなダンス講師ウェンセン(ダンカン・チョウ)と、<七夕バレンタイン>にデートの約束をする。
しかし彼女がふと目を覚ますと、既にバレンタインの翌日になっていた。シャオチーは失くした大切な1日の記憶を取り戻すべく奔走するが……。
レビュー(まずはネタバレなし)
七夕バレンタインって何さ
チェン・ユーシュン監督は台湾新世代の異端児として注目される人物だという。台湾映画といえばホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンをイメージしてしまう身としては、だいぶ新しい感覚の映画に見える。
いきなり<七夕バレンタイン>で盛り上がる話が始まり、七夕なのかバレンタインなのか、台湾では同日なのかと混乱するが、台湾では2月14日と旧暦7月7日の年二回バレンタインがあり、七夕の方が重要イベントだそうだ。日本のバブル期のクリスマスのようで、恋人がいない者には、消えてほしい一日らしい。
原題の『消失的情人節』は消えたバレンタインの意。第一幕はそこから一部の文字が消え『消失的情人節』となる。
主人公は郵便局の窓口勤務の冴えないアラサー女子・シャオチー(リー・ペイユー)。どことなく若い頃の安藤玉恵っぽい風貌。
このシャオチーは、子供の頃から人よりせっかちで何をするのもワンテンポ早い。運動競技はフライング、合唱も体操も人より早く、映画を観ても誰より早く笑う。写真撮影もタイミングが合わず、どの写真でも目を瞑っている。妙におかしいキャラ設定。
そんな彼女が公園で出会ったダンス・インストラクターのリウ・ウェンセン(ダンカン・チョウ)。ちょっとイケメンでワイルドな彼の強引な誘いに、恋愛初心者の彼女はすぐに舞い上がり、念願の充実したバレンタインの前夜となる。
狭いアパートで節約生活のシャオチーの楽しみは、毎晩聴いているDJモザイクのラジオ番組。放送が始まると窓にモザイク顔のDJが現れるファンタジックな演出が楽しい。
マイファニーバレンタイン
だが、バレンタインの朝、シャオチーが目覚めると、なんと翌日の月曜日になっている。しかも全身日焼けしていて、丸一日寝過ごしたとは思えない。肝心の一日はどこに消失した?
警察に遺失物を問い合わせても、当然埒が明かない。約束していたウェンセンも姿を消してしまった。何が起こったのか。
◇
自分で謎を解明しようにも、手のつけようがないシャオチー。突如洋服ダンスの中から自分は壁虎(ヤモリの別名)だという老人が現れる。壁虎は家の見回りが仕事で、人が失くした物を拾って管理しているという。
老人が見せてくれたのは、038の番号付きの鍵、そして10年前に失踪した父親の写った円盤形のスライド。いや、あのステレオスコープ、めっちゃ懐かしくて感動。
そして通りがかった街の写真館に飾られた、砂浜を背景にした自分の写真を発見。記憶にないその写真の自分は、いつもと違って目を閉じていない。
その後、仕事中にシャオチーは気づく。壁虎に教わった失くした鍵は、郵便局の私書箱の鍵だと。彼女は実家に戻り、存在を忘れていた鍵を手に入れ、そこから失くした一日の捜索を始める。
台湾版アメリなのか
ネタバレなしで書けるのは、このあたりまでなので、未見の方はぜひ映画をお楽しみいただきたい。私書箱038の在処を求めて、海岸近くの郵便局をしらみつぶしにあたる捜索の旅工程はなかなか夢がある。
シャオチーの特異なキャラ設定や妄想が実体化する描写など、作品全体に『アメリ』(ジャン=ピエール・ジュネ監督)のようなテイストを感じる。私書箱探しにも、アメリの証明写真機探しに通じるものがある。
◇
本作は、第一幕まではとてもいい感じのワクワク感がある作品だったが、後半戦でちょっと私には乗り切れない部分があった。
ただ、第二幕に私のような違和感を覚えない人もいるだろうし、特に後半の特撮技術には目をみはるものがあるので、観るべき価値は十分にある。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
毎日切手を買って手紙を出す男
さて、紹介するだけでネタバレを匂わせてしまうのでここまで書きそびれたが、シャオチーの郵便局窓口に毎日手紙を出しに来て一枚だけ切手を買う常連客のウー・グアタイ(リウ・グァンティン)がいる。
手紙の宛先は例の私書箱038、しかも消えた一日の翌日には彼も日焼けして、それも殴られて腫れた顔で店頭に現れる。カギを握るのは、グアタイだったか。
◇
そして物語は第二幕『消失的情人節』(消えた物語)となる。シャオチーとは対照的に、子供の頃から何をしてもワンテンポ遅い少年だったグアタイ。地震で揺れても、あとから騒ぐほど。
主人公と対照的な特性の相手の登場。まるでシャマラン監督の『アンブレイカブル』に出てきた強運な男と不運な男のようだ。
郵貯とバスと三度目のショウジキ
グアタイは成長し、バス運転手として働いていた。仕事中に、彼はシャオチーと三度目となる運命的な再会を果たす。子供の頃、大きな自動車事故で二人は重傷を負い、病室で知り合った。
先に退院したシャオチーに、事故で死んだグアタイの父の私書箱の鍵を渡し、そこで文通をしようと約束したのだ。その手紙を彼は書き続けていた。
◇
もはや文通のことも忘れていたシャオチーは、毎日窓口にくるグアタイにも気づかない。一方、グアタイは彼女に近づくウェンセンが女たらしの詐欺師だと知り、彼を追い払おうとする。これが殴り合いで腫らす顔につながる。
グアタイの視点から改めて繰り返されるウェンセンとシャオチーのデートまでの道のり。そう言われると、確かに第一幕の片隅にはいつもグアタイの姿や、彼の運転するバスが写っている。
郵便局のシーンではついシャオチーの左の窓口の美人過ぎる同僚ペイ・ウェン(ヘイ・ジャアジャア)に目が行ってしまったが、実は右の窓口のおばさんのトリッキーな動きに意味があったとは。
ここまではよく出来ている。ちょっとオタクっぽい内向的な青年だが、昔から思いを寄せる彼女のために悪徳男を懲らしめる話。
私書箱を通じた文通も、『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』から古くは『Love Letter』や『イルマーレ』まで、恋愛の小道具としては効果的だ。
ハイテクなのかローテクなのか
だが、この後がいただけない。一日を消失したシャオチーと異なり、グアタイには一日が与えられる。突然彼の周囲の街中の時間が止まり、人が静止するのだ。
街中のクルマはともかく、往来を歩く人たちまでピタッと静止させ、しかもその中をグアタイだけが動き回り、時には通行人に接触もするのだが、この特撮映像の出来は素晴らしい。
マーベル映画のような超巨大バジェットで見せる特撮なら驚かないが、本作のようなジャンルと予算で、このレベルの映像に仕上げるのは称賛に値する。しかもメイキング映像を見ると、結構エキストラが気合で動きを止めている部分もありそうだぞ。ホントか?凄すぎる。
さて、映像技術的には素晴らしいのだが、問題はグアタイの行動なのだ。
理由はよく分からないが、時間が止まったと知るや否や、彼は盗んだチャリでシャオチーの乗るバスを探しあて、彼女を乗せたバスを秘密基地と呼ぶ海岸線まで走らせる。
満潮になると海の中のようになる細い道をバスは抜け、そして写真館のスナップのように、砂浜に相合傘のオブジェを立てて彼女と撮影大会。これを微笑ましいとみるかどうか。何せ、時間が止まっているから、シャオチーはピクリとも動かず、意識もないのだ。
◇
彼女とのお別れのキスさえおでこに留める行為はギリギリ紳士的かもしれないが、意識のない女を好き勝手に操っている行為自体、気持ちよい行動ではない。一歩間違えば、ラブドールマニアか企画もののAV、或いはデートドラッグで昏睡させる犯罪者と変わらない。
理論的には二人の運命は逆ではないか
そんなことから、話の流れはあまりロマンティックに思えなくなってきた。この後、グアタイと同様にこの世界で動ける人物がバスに乗ってくる。シャオチーの失踪した父親だ。彼がこの怪現象を解明してくれる。
ワンテンポ遅れて生きている我々には、毎日時間が利息のように少しずつ貯まっていくのだ。そしてこのように、24時間自由に動ける一日となる。
せっかちなシャオチーからは、逆に一日が剥奪されたというわけか。これは理屈があっているようだが、逆なのではないかと私には思える。
◇
分かりやすく例えると、一日を23時間位の速さでせっかちに生きているシャオチーには、閏年のようにいつの間にか一日分の余剰ができる。
逆にのんびり生きているグアタイは、一日に25時間を費やしているから、どこかで一日返上しないと辻褄が合わない。だから、一日を消失すべきは、グアタイの方ではないかと思うのだが、どうだろうか。
ファンタジーらしく、エンディングは綺麗にまとめてくる。ようやく分かりあえた二人に余計なクサい台詞がないところは好感が持てる。
ただ、発想は面白い映画だっただけに、グアタイのヘタレ具合がどうもなあ。でも、最後にトラックの衝突で絶対死んだと思ったのに、全治してたから、結構グアタイは図太いのかも。