『マルコヴィッチの穴』
Being John Malkovich
秀逸なナンセンス。7と1/2階で降りたフロアに広がる天井高が半分の世界。そして人気俳優の脳内へ。マルコヴィッチでなければ表現できない不思議な世界を、カウフマンとスパイク・ジョーンズのコンビが描き切る。
公開:2000 年 時間:112分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: スパイク・ジョーンズ 脚本: チャーリー・カウフマン キャスト クレイグ: ジョン・キューザック ロッテ: キャメロン・ディアス マキシン: キャサリン・キーナー ジョン・マルコヴィッチ: 本人
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
定職のない人形師のクレイグ(ジョン・キューザック)は、妻のロッテ(キャメロン・ディアス)に促され、新聞の求人欄を見てマンハッタンにあるオフィスビルの7と1/2階にある小さな会社に就職する。
文書整理の仕事を得た彼は、ある日オフィスの壁に小さなドアを発見する。ドアを開けて穴の中に入った彼は、それが俳優ジョン・マルコヴィッチの脳へと続く穴であることに気付く。
レビュー(まずはネタバレなし)
愛すべきナンセンスの世界に浸ろう
奇妙な世界観に没頭させてくれる作品。公開後20年も経過するが、この独特の世界は、いまなお他者の追随を許さない。
スパイク・ジョーンズ監督の作品だが、『her/世界でひとつの彼女』よりも、断然エッジが効いた作品である。
彼とコンビを組むことの多い、チャーリー・カウフマン(本作では脚本)が、本作には多大な影響を与えているように思う。
『アダプテーション(本作と同じコンビ)』、『脳内ニューヨーク(カウフマン監督・脚本)』あたりと同系列の匂いがする。
◇
能書きはさておき、人を食ったこの映画は、冒頭からの展開が秀逸である。
人形師のクレイグが操る男女の人形の芝居、これがとても見事で、およそ吊り糸で動かしているとは思えない精巧さ(合成なのか)。
だが、彼は全く人形師としては芽が出ず、器用で小柄な男性を求める新聞の求人欄でファイル係に応募する。
オフィスはマンハッタンの古いビルの7 と1/2階。エレベータを降りられずにクレイグが困っていると、隣の黒人女性が緊急停止させ扉をバールでこじ開けてくれる。
そして降りたフロアは、何と天井高が半分の、頭が天井に付く世界だ。
◇
もう、ここまで惹きつけられっ放しである。不吉だから4階や13階を設けないという話は聞いたことがあるが、ひっそりと1/2階があるというバカらしさがいい。
更に、その天井の低い(だから家賃も半分の)オフィスで、普通に人々が働いているというのもまたナンセンスで好き。
昔、友人といった新橋の居酒屋の中二階が天井の低い部屋で、この映画を思い出して二人で盛り上がったのを思い出した。
ようやく真打ち登場、長かった
そして、いよいよ本題。このオフィスの壁の隅の小さな扉を開けると、その先の狭いトンネルがなんと、俳優ジョン・マルコヴィッチの脳内につながっていて、彼の心身と15分間だけ一体化できるのだ。
そして、時間をオーバーすると、ニュージャージ―・ターンパイクの高速道路脇に、空間の切れ目から放り出される仕組みなのである。まさに、ナンセンスの極み。
このシーンまで何分経過したか忘れたが、クレイグが脳内に入ったあとに、鏡に映る姿で、ようやく初めてマルコヴィッチの顔が出てくる。登場まで相当に焦らされる展開は、まるで往年のゴジラのようである。
◇
トンネル体験を1回しただけで、マルコヴィッチの脳に入れるという発見や、15分で排出されるという仕様まで理解するクレイグの洞察力は大したものだ。
同じフロアで働く、クレイグが好意を寄せている女性マキシン(キャサリン・キーナー)が、この脳内トンネルを使い、1回200ドルで商売を始めようと持ち掛ける強かさも立派だけど。
レビュー(ここからネタバレ)
複雑な三角関係プラスアルファ
さて、この<1回15分間200ドルで違う人格になれる>という企画は繁盛し、天井の低い廊下に行列ができる。
「希望すれば、誰にでも、なれるのか?」
「いいえ、具体的にはジョン・マルコヴィッチになります、俳優の」
「それなら、文句ない。俺の希望の上から二番目だ」
といった客との会話だったと思うが、くだらなくて良い。
◇
少し、人間関係に触れたい。
もとから、クレイグとロッテの夫婦は倦怠期ムードが漂っているのだが、マルコヴィッチの穴を妻が体験したことで、不思議な三角関係が生まれる。
まず、ロッテは男としての喜びに目覚めてしまい、性転換しだすと言い出すのである。
そして、マルコヴィッチに接近を図っていたマキシンはというと、マルコヴィッチという容器を通じて、その中にいるロッテと愛を確かめ合うようになっていき、この二人が惹かれ合うのだ。
一方、クレイグは妻にもマキシンにも相手にされず、マルコヴィッチの身体を使って、不正にマキシンとベッドインしようと、あれこれ画策するのである。
なんとも、複雑怪奇な <男女の三角関係 + 容器としてのマルコヴィッチ> という構図が出来上がる。
最高潮の盛り上がりと失速
本作は、マルコヴィッチがこのからくりに気づき(俳優仲間のチャーリー・シーン本人に相談するあたりが笑えるが)、そして7と1/2階に乗り込んでいってクレイグらに文句を言い、自分の脳内トンネルを体験してみるところが、盛り上がり的には最高潮。
この彼が自分の脳に入るという無謀な行為によって、『マトリックス』のエージェント・スミス、あるいは横浜のピカチューよろしく、レストランの至る所にジョン・マルコヴィッチが大量発生するのである。
だが、映画は、ここから先、大きく失速するように思う。
いや、筋立てとしてはよく考えられているのだろうが、正直論理的な説明がつく筈もないし、これ以上いろいろ盛り込まなくてもいいのにと思ってしまう。
例えば、「マルコヴィッチと結婚し、妊娠し」というカードがあったり、一方では、「クレイグが勤めた会社の社長の正体が実は…」みたいなカードもある。
「マルコヴィッチは俳優稼業をスッパリとやめ、人形師として大成し」という話もある。
◇
これらを欲張って統合しようとした結果、せっかくの前半の面白味が色あせてしまったように思えてならない。
暴論を承知でいわせてもらうと、ポスターにもあるマルコヴィッチ大量発生あたりでスパッと映画を終わらせてしまうくらいの思い切りがあっても、良かったのではないか。
いずれにしても、私はその辺までであとは忘れてしまい、「あー面白い映画だった」というと思うけれど。