『ホース・ガール』
Horse Girl
徐々に妄想ワールドに入り込む女。現実と妄想の入り乱れる映画は珍しくないが、その境界線が見えない。健常者の目線というか、おかしな行動を客観的にとらえ、観客に何が正常かを判別できるようにしてくれないのだ。
公開:2020年 時間:1時間44分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: ジェフ・バエナ キャスト サラ: アリソン・ブリー ダレン: ジョン・レイノルズ ジョーン: モリー・シャノン ニッキー: デビー・ライアン
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
ポイント
- アリソン・ブリーが不思議ちゃんの役を好演。妄想ワールドと現実世界の線引きのないバリアフリーな世界の描き方は、結構攻めてる。
あらすじ
手芸用品店で働くサラ(アリソン・ブリー)は、休日は趣味の乗馬やズンバレッスンを楽しむ生活を送っているが、一番好きなのは一人で超常現象犯罪ドラマを観ること。
しかし、幸福な日常はある日を境にして崩れ始める。サラは悪夢に苛まれるようになり、ほどなくして夢と現実の区別がつかなくなっていく。
レビュー(まずはネタバレなし)
現実と妄想のあいだに
サラの家系にはメンタルの病を患った女性が多く、彼女もその血を受け継いでいて不安を抱えていく。
ちょっと変わっていて友だちも少ないけれど、心優しくて魅力的なサラが徐々に妄想ワールドに入り込んでしまう。
時に怖く、時に笑えて、そしてあとからじわっと切なく思えるところありの、なんとも不思議な作品だった。
◇
現実と妄想の入り乱れる映画は珍しくないが、一般的には健常者の目線というか、おかしな行動を客観的にとらえて、観客に何が正しいかを判別できるようにしてくれるものだ。
いってみれば、映画のどこかで何が現実かをネタばらししてくれる。洋画なら『ビューティフルマインド』とか、邦画なら『パーマネント野ばら』とか(思いつきの例示が古いね)。
◇
けれど、本作は終始、『サラの鍵』ならぬ、サラの目線だけなのだ。だから、観ている方も、どこまでが現実か混乱していく。
その意味では、観客を突き放している映画でもあり、好き嫌いが分かれるところとも言える。感心したのはユニークな映像美。
サラの夢の中の何もない白い部屋や、忍者のように身に付けるピーチ色の布地。勿論、どこまでが現実なのかを推理していく楽しみ方もあるだろう。
アリソン・ブリーが熱演だった。彼女あっての作品である。
レビュー(ここからネタバレ)
何かに支配されてしまう
サラの病気固有の症状として、<幻聴>や<都合のよい関連付け>、<何かに支配される感覚>というのが多く見受けられた。
また、彼女の心がとらわれてしまっているものは、超常現象犯罪ドラマ『煉獄』、そして頻繁に見る白い部屋の夢だろうか。順を追って、少しサラの不安と妄想につきあってみたい。
サラに遺伝的な病気が発症するまで
手芸店の同僚ジョーン(モリー・シャノン)から誕生日にDNA検査キットをもらったり、サラが頻繁に鼻血を出したりと、やたら遺伝というキーワードを匂わせる。
亡き祖母は精神を病んでおり、また母も近年うつ病で自殺していることから、無自覚ながらサラは遺伝の不安を抱えていたはず。
ルームメイトのニッキー(デビー・ライアン)の紹介で意気投合した彼氏ダレン(ジョン・レイノルズ)がなんとドラマ『煉獄』の主人公と同じ名前。サラは単なる偶然と思わず、これも発病に拍車をかける。
ちなみに、ダレンが熱く語っていた、
「<パン屋の1ダース>は1個おまけが付くから13個」
というのは、特に不吉な意味のない英語表現らしい。
◇
ダレンと出会った後、落馬して記憶障害になった親友をサラは見舞いに行く。
だが、この親友が突如「パン屋に勤め始めた」というのが<パン屋の1ダース>と重なるので、はたして偶然か妄想か悩んだ。
見舞いの帰り道、いつもは愛車のハンドルを頑丈なロックで固定するサラが、給水塔近くで無自覚にクルマを乗り捨てて帰宅。
後日クルマが盗まれたと大騒ぎするのだが、いよいよ記憶障害が発症し始める。
サラが自分が何者かの答えをみつけるまで
次第にサラには多くの症状が顕在化してくる。
ニッキーが部屋にいなかったのに、一晩中彼女の部屋から彼氏との会話が聞こえていたり、夢に出てくる初老の男性を町で発見し、追いかけて配管工事を頼んだり。
頭の中では技術の神であるサティコ衛星についての幻聴が流れている。
体にはなぞの痣が浮き上がり、夢遊病のように就寝中に外出して記憶にない行動をとっていたり、時間感覚が変調していたり。
◇
そしてサラは、『煉獄』のドラマからヒントを得て、なぜ自分が祖母に酷似しているかを悟るのだ。
自分は祖母のクローンに違いない。
鼻血の診察に訪れた耳鼻科の先生に、真顔で自分がクローンではないかと相談しているサラは、一体どうなってしまうのか。
サラが精神科に入院するまで
彼氏のダレンは優しい青年だが、サラが自分の夢に出てくるという男の実在する家を彼に見せたり、母親の墓を掘り返して自分がクローンかDNA鑑定しようとすると(祖母のDNAでなくていいのか?)、さすがにドン引きする。
◇
サラには、エイリアンがサティコ衛星経由で、クローンから人間の情報を吸い上げようとしているという強迫観念がある。
たくさんのお守りや、お香や、呪術的なグッズと祈りでエイリアンからさらわれないようにする。まさに新興宗教に妄信しているような狂気だ。
◇
ニッキーたちに責められ、逃げるようにシャワー室に飛び込んだサラは、気がつくと裸で手芸店の店内にいる。記憶なく、時間と空間を飛び越えてしまったのだ。
無人で走行するクルマのカットが挟まっているが、実際は本人が乗ってきたのだろう。
シャワーの水音や排水溝のカットが本作には何度か出てくるが、サラは自殺した母親をシャワー室で発見しており、それを暗示しているようだ。
そして愛馬とともにラストへ
入院先でサラは病院を抜け出し、部屋に戻るとそこにはルームメイトのニッキーではなく、いつも夢に出てくる若い女性がいる。
そして勤め先の手芸店に行き、パワーがあるというピーチ色の布を大量に盗み出し、忍者のようにそれを身にまとう。
愛馬にも着せ、厩舎全体も布で覆い、サティコ衛星対策を万全にする。ダレンも再び自分を受け容れてくれる。
脱走してまで行く勤務先手芸店の店名<Great Length>が劇中で何度か強調されるのは、go to great length (どんな苦労も厭わない)の英語表現と関係するのだろうか。
◇
さて、朝になると、サラは病室に戻っている。隣のベッドには例の夢に出てくる若い女性。
病院脱走から先はすべて妄想だったと思われる。実際に脱走したサラを病室の窓から見下ろすもう一人のサラも登場するから。
この女性が自分と同じ夢をみていて、1995年から眠っていると言っていることで、サラはやっと自分の主張が認められた、そして自分はクローンなどではなく祖母自身だったのだという考えに至るのだ。
映画自体、結構いろいろな仕掛けが散りばめられているようだが、もう少しうまく仕込まれていたら、完成度があがっただろう。ちょっと惜しい気がする。
愛馬ウィローも、サラと同じ誕生日に何か意味があったのだろうか(それも彼女の都合の良い関連付けの一つか)。
◇
ラストのサラの安らかな表情は救いだったが、あんなに恐れていたエイリアンに召されるのに、なぜ幸せそうなのだろう。自分の主張が妄想ではないと分かったからか。
そして、馬は無関心に草を食む。