『失くした体』
J’ai perdu mon corps
「手」の目線(何それ)で無言のパリ冒険。流麗な動きと風景描写の美しさ、臨場感溢れる効果音に感服。メトロのエスカレータを「手」が駆け下りてホームに滑り込むシーンなど、素晴らしい出来栄えに息をのむ。
公開:2019年 時間:81分
製作国:フランス
監督:ジェレミー・クラパン 原作:ギョーム・ローラン
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
話はやや複雑で多くは語られず(というか、ほとんど説明はない)、切断された人間の「手」が動き回って、パリの街の中をハトやらネズミやらイヌやらに襲われそうになりながら、旅をしていく。
「手」が何かに触れるたびに、温かく平和だった遠い日々の思い出がよみがえってくる。
レビュー(まずはネタバレなし)
流麗だが、もの悲しいアニメーション
カンヌ国際映画祭批評家週間グランプリ受賞、アヌシー国際アニメーション映画祭のグランプリにあたるクリスタル賞と観客賞をダブル受賞したという触れ込みなので、久しぶりにピクサー以外の外国アニメを鑑賞した。
◇
一世を風靡したカルト映画『アメリ』の脚本家として知られるギョーム・ローランの小説「Happy Hand」が原作だそうだ。
その脚本へのこだわりと、アニメーションがもつ芸術性と表現力の豊かさ、更に音響効果の素晴らしさが見事に調和した、優れた作品だった。
この「手」による冒険譚はセリフなしで進むのだが、その流麗な動きと風景描写の美しさ、臨場感のある効果音につい惚れ惚れする。
「手」の目線で(日本語が変だが)、メトロのエスカレータを駆け下りてホームに滑り込むシーンなど、実に素晴らしい出来栄えだ。
暗く重たいストーリーなので、正直、どんよりとした気分が晴れて明るい感じにはなる映画ではない。
ただ、その独特のトーンが「手」の旅の意味合いを強めるし、またパリの寒空の下で懐かしむ幼年期の光に満ちた思い出が、一層温かみを感じさせてくれる。
◇
映画は途中から、ピザ配達をする冴えない青年ナウフェルと、彼が恋心を寄せる図書館司書のガブリエルのエピソードが加わり、「手」の旅と並行で話が進み始める。
こちらはセリフありだが、それでも、どんな展開になるのか検討がつかない。一方の「手」の方はセリフなしでも、動きがそれを補って余りあるほど、雄弁に語ってくれる。「手は口ほどにものを言う」だ。
レビュー(ここからネタバレ)
ハエが手をする脚をする
ネタバレ含みで、少し詳細にストーリーを。冒頭のナウフェルの幼少期の思い出は、常にハエがつきまとう。屍体に群がる不吉の象徴であるハエ。
優しく裕福な両親に囲まれ、演奏家と宇宙飛行士に憧れた少年時代は、誕生日にもらった録音機で外界の音を集めるのに夢中になる。
しかし、少年の音拾いが不幸にも自動車事故を誘発し、少年を残して両親は他界。
やはりハエは不潔、いや不吉だった。少年は孤児となり、いつしかピザ配達の青年に成長する。
ストーカーの恋
冴えないバイト生活であまり幸福そうにみえないナウフェルだが、配達先のトラブルで、ピザではなく自分の状況を心配してくれた、インターホンごしのガブリエルに惹かれる。
彼は執念で勤務先の図書館を探しあて、彼女の叔父の木工所で仕事までみつける。
ナウフェルは、わずかな優しさにも飢えた生活を過ごしてきたのだろう。ガブリエルに夢中になるのはよいが、これではストーカーだ。
◇
もはや恋一途の彼は、廃墟ビルの屋上に隠れ家的なイグルー(かまくら)までこしらえて、ガブリエルに出会いの秘密を明かし、想いを告白する。
だが、まあ、そうだろう、恋の空回り。悲惨な結果に終わる。
「手」の旅はどこに向かう
悲嘆にくれるナウフェルに追い打ちをかけたのが、木工所の事故。材木に止まったハエをつかもうと、亡き父に教わったとおり横から手を出したせいで、彼は右手首から先を失ってしまうのだ。
切断された手から逃げるハエ。絶望のどん底である。
◇
ここでようやく、なぜ「手」はナウフェルと引き離されてしまったか、彼を探して旅をしているのかが分かる。「手」は持ち主に会いたくて旅に出てしまった、犬っころなのだ。
ようやくナウフェルのもとにたどり着いて、彼の手首の先の定位置に収まる「手」をみてみよう。
この冒険の目的は、例えば、絶望のはての自殺を思いとどまらせよう、といった理由ではなく、単に持ち主のもとに帰りたかっただけなのだ。
でも、「手」が定位置に戻っても元の姿に戻れるはずもない。
ジョン・アーヴィングの意味
子供の頃の録音機で、懐かしい両親との会話や自動車事故直前のやりとりを聞いていたナウフェルは、訪ねてきたガブリエルを避けるように姿を消す。
彼女は残された部屋で、以前彼に貸した「ガープの世界」の本を読む。
◇
映画では語られないが、この本は著者ジョン・アーヴィングの定番アイテムとしてクマが出てくるので、図書館での北極クマの話の流れで彼女が薦めたものと思った。
だが、「ガープの世界」の後半には悲惨な自動車事故も登場する。実は映画のラストにつながる深い意味があるのかもしれない。
録音機が語ってくれるもの
さて、「手」が角砂糖を使った気の利いた方法でヒントを与え、ガブリエルはナウフェルを探してイグルーのある屋上へと向かう。
しかし、ナウフェルの姿はなく、無人の屋上には録音機が。彼の身が心配だ。
録音機を再生すると、両親との楽しい会話のあと、自動車事故時の音声に上書きされた、動き回る靴音や風の音が聴こえてくる。
ガブリエルの目には、少し前にここにいたに違いない、ナウフェルの姿が浮かび上がってくる。
「異常なことをすれば、運命が変えられるんじゃないかって気がするんだ」
ナウフェルはイグルーでそう語っていた。再生機のレベルメーターがレッドゾーンに振れるだけで、こんなにも感情がかき立てられることがあるとは。
道を切り開いたじゃないか、ナウフェル。
そう言いたかったのか、「手」は雪に埋もれながら、あの陽射し溢れるビーチの砂の感触を思い出し、静かに成仏していくように見えた。
エンディングの切ないフランス語の曲もラストシーンにマッチしており、しばし余韻に浸る。