『アフター・ヤン』
After Yang
AIロボットのベビーシッター・ヤンが故障したあとに、家族は何をみつけ、何を想う。
公開:2022 年 時間:96分
製作国:アメリカ
スタッフ
監督: コゴナダ
原作: アレクサンダー・ワインスタイン
『Saying Goodbye to Yang』
キャスト
ジェイク: コリン・ファレル
カイラ: ジョディ・ターナー=スミス
ヤン: ジャスティン・H・ミン
ミカ:マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ
エイダ: ヘイリー・ルー・リチャードソン
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
人型ロボットが一般家庭にまで普及した近未来。茶葉の販売店を営むジェイク(コリン・ファレル)と妻カイラ(ジョディ・ターナー=スミス)、幼い養女ミカ(マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ)は慎ましくも幸せな毎日を過ごしていた。
だが、ロボットのヤン(ジャスティン・H・ミン)が故障で動かなくなり、ヤンを兄のように慕っていたミカは落ち込んでしまう。
ジェイクは修理の方法を模索する中で、ヤンの体内に毎日数秒間の動画を撮影できる装置が組み込まれていることに気付く。
そこには家族に向けられたヤンの温かいまなざしと、ヤンが巡り合った謎の若い女性(ヘイリー・ルー・リチャードソン)の姿が記録されていた。
レビュー(ネタバレあり)
小津好きなのは分かったけど
アンドロイドがどんどん人間に近づき、苦悩していくという近未来の話は、金字塔『ブレードランナ―』のレプリカント以来、個人的には大好きなジャンルである。だが、本作はどうにも相性が悪かった。
監督は韓国系アメリカ人のコゴナダ。小津安二郎を敬愛している監督なのは、小津作品の脚本家・野田高梧に因んだ名前からも窺い知れるが、まあ、さすがにねらいすぎだよね、という感じがする。
小津安二郎を感じさせる映像という風に、売る側は煽り文句を書くだろうが、だから何なのというシラケた印象。
落ち着いた画面構成や色合いにはセンスを感じるが、内容が伴わない。というか、映画なんだから、もう少し観客の感情に訴えかけてくれよ、といいたくなる、あまりに淡泊で薄味な演出。
デビュー作『コロンバス』は、それでも良かったのだ。舞台となったコロンバスの町に点在する、美しい建築物を眺めているだけで、間が持った。そこに旅をしたような気持ちにもなり、どこか満たされたような気持ちで映画を堪能できたのだ。
だが、本作にはそれがない。特撮をろくに使わずに、設定だけで近未来を演出している試みは悪くはないが、それをSFとして見せるためには、観客を引き込むだけのドラマが不可欠だろう。
故障したアンドロイド
主人公となる家族は、茶葉の専門店を営む夫のジェイク(コリン・ファレル)と妻のカイラ(ジョディ・ターナー=スミス)、そして兄のヤン(ジャスティン・H・ミン)と妹のミカ(マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ)
の二人の子供。
ジェイクは白人、カイラはアフリカ系、そして子供たちは中国系の家族だが、ミカは夫婦の養女で、ヤンはミカに中国文化を教えるために、中古品で購入したアンドロイドだということが分かる。
◇
この四人が、オンラインのダンスバトルを勝ち抜くために、家の中で激しくダンスする様子はそれなりに面白いのだが、そのあとすぐに、ヤンは体調を悪くして(というか故障ですな)、動かなくなってしまう。
ミカが本当の兄のように慕っているヤンが動かなくなり、夫婦は、どうにか彼を復活させようと、メンテナンスのセンターに行くが、古い機種なので下取りで新機種を薦められる。
愛着のある古い機械を修理に出したら、気軽に買い替えろとセールスされる寂しい気持ちはよく分かる。
結局ジェイクはアングラの修理工にヤンを任せ、彼の脳内にある、毎日数秒間の動画を撮影できる装置にたどり着く。
◇
ネタバレになるが、本作は、もはや再起動できなくなったヤンに保存された動画データにアクセスし、ジェイクが彼の内面を理解していく話なのである。
そしてその動画の中には、小さい頃からのミカの成長記録や家族との思い出写真に混じって、見知らぬ金髪の女性の姿がある。
調べていくと、それはたまに内緒で彼らの家に訪れているエイダ(ヘイリー・ルー・リチャードソン)というクローンの女性だと分かる。
はたしてヤンはどうやって彼女と知り合ったのか、彼は恋心を抱いたのだろうか、ジェイクの関心は膨らんでいく。
もっと感情のツボを押してくれ
題材自体はけして悪くない。話の持っていきようによっては、面白くなったと思うが、なぜか本作はまったく盛り上がりに欠ける。
そもそも『アフター・ヤン』という割には、ヤンが突如動かなくなり、そのまま再起動することがないというのに、まるで喪失感がない。
序盤のダンスバトルだけでは、彼がいた家族の日々の描写の絶対量が足らないのだ。ミカが寂しがっているだけでは、共感しにくい。
◇
全く別ジャンルのラブコメだが、『横道世之介』(2013、沖田修一監督)で主人公の世之介(高良健吾)が事故死したあと、彼の撮ったフィルムを現像した写真を恋人(吉高由里子)が懐かしむ場面がある。
故障したヤンのメモリーをジェイクが見る行為はこれに似ているが、陽気で憎めないキャラの世之介ならではの喪失感が、本作には乏しい。
修理工と博物館の女の関係もよく分からない。二人のどちらかが、実はヤンの部品を悪用しようとする裏切者というのが一般的な流れに思えたが、その辺の掘り下げはない。
ジェイクの家族がみなバラバラの人種で、なぜ夫婦が中国人の養女をとったのかという点も、意味ありげにみえて、最後までまったくスルーのままだ。
◇
ヤンは中古品であり、かつては前オーナーの女性が息子を育てるのをサポートしていたが、成人した息子は若くして亡くなってしまう。歳月が流れ、ヤンは年老いたオーナーのリハビリに派遣されたエイダと親しくなる。
だが、そのエイダも事故で亡くなってしまい、オーナーが変わった後に、ヤンはクローンのエイダに接近を図る。
ヤンが恋愛していたのか、恋愛感情を持つことに憧れていたのか、明確にする必要はないと思うが、坂本龍一やAska Matsumiyaの音楽に合わせて、あまりに淡々と進んでいくので、感情を震わせるきっかけがつかめない。
リリィ・シュシュは反則技
AIの音声と会話しながら、ジェイクがヤンの保存データにアクセスしていくシーンだけが、かろうじてSFっぽい映像になってはいるが、これだって特筆するものはない。
同じようにAIとの会話だけで何の特撮なしでも良質な近未来SFに仕上げた、スパイク・ジョーンズ監督の『her 世界でひとつの彼女』と比較するのは酷だろうか。
「私たちの親は本当の親じゃないの(肌の色が違う)」と嘆くミカを諭すように、ヤンが接ぎ木の話をしたり(実際に接ぎ木のカットがないのは惜しい)、「毛虫の終わりは蝶の始まりだ」と中国の故事を紹介したり。
ところどころ掘り下げれば意味深げな台詞があるのだが、どれも無感情にヤンが語るだけなので、胸に刺さらない。
◇
このように、全般的に静謐のなかで進んでいく作品において、数少ない賑やかなシーンが、序盤にあるダンスバトルと、ヤンのメモリーに入っていた、エイダとのディスコの思い出。
この場面とエンディングに流れる曲は、Mitskiが歌う「グライド」。そう、『リリイ・シュシュのすべて』のあの名曲だ。
よく見たら、メモリーの中でヤンが着る黄色のTシャツにも、” Lily Chou-Chou”と書いてあるじゃないか。本人の視覚映像だから自分の姿は鏡像で文字が反転していて、つい見過ごした。
蝶の話が出てくるのなら、むしろ『スワロウテイル』という気もするが、脚本や演出で盛り上げずに、この曲でエモさを強調するのは、ちょっとずるい。ここで感動したとしても、それは岩井俊二の『リリイ・シュシュ』の恩恵だろうに。
淡泊な薄味演出が、コゴナダ監督の心酔する小津安二郎流だというのなら(それも同意しかねるが)、その主義を貫徹しないのか。
コゴナダ監督の次回作は、コリン・ファレルの続投とマーゴット・ロビーの共演だという。『バービー』人形はヤンのようにおとなしいキャラには収まりそうにないが、小津安二郎スタイルでいけるのだろうか。余計なお世話だが、心配になる。