『コロンバス』
Columbus
小津安二郎にオマージュを捧げたコゴナダ監督のデビュー作。愛すべきモダニズム建築の町コロンバス。
公開:2020 年 時間:103分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督・脚本: コゴナダ キャスト ジン・リー: ジョン・チョー ケイシー:ヘイリー・ルー・リチャードソン ガブリエル: ロリー・カルキン エレノア: パーカー・ポージー マリア: ミシェル・フォーブス エマ: エリン・アレグレッティ ヴァネッサ: シャニ・サルヤーズ・スタイルズ ヨジョン・リー: ジョセフ・アンソニー・フォロンダ
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
あらすじ
講演ツアー中に倒れた高名な建築学者の父を見舞うため、モダニズム建築の街として知られるコロンバスを訪れたジン(ジョン・チョー)だったが、父親との確執から建築に対しても複雑な思いを抱いており、コロンバスに留まることを嫌がっていた。
地元の図書館で働くケイシー(ヘイリー・ルー・リチャードソン)は薬物依存症である母親の看病のためコロンバスに留まり続けていた。
ふとしたことから出会った対照的な二人は建築をめぐり、語り合う中で次第に運命が交錯していく。
レビュー(まずはネタバレなし)
そこは、モダニズム建築の町
小津安二郎にオマージュを捧げたコゴナダ監督の長編デビュー作は、モダニズム建築の町・インディアナ州コロンバスを舞台にした建築愛にみちた作品になっている。
これみよがしに小津のカメラポジションを真似ただけのショットがあるような、底の浅いオマージュではない。小津組の脚本家として知られる野田高梧の名前に因んでコゴナダを名乗っているだけのことはある。
◇
コゴナダ監督は、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された「アメリカの近代建築が楽しめる都市ベスト10」でコロンバスの街の存在を知り、本作の舞台に選んだそうだ。
コロンバスといえば、隣のオハイオ州の方がメジャーな存在で、こちらのコロンバスは人口4万人の小都市。だが、その小さな街に映画にも多く登場するモダニズム建築が存在するという、このアンバランスさが面白い。
建築を憎んでいる男・ジン
映画は冒頭、「教授、教授」と韓国語と思しき声で男性を探す女性、エレノア(パーカー・ポージー)。人目を惹くインテリアは、建築家兼デザイナーのエーロ・サーリネンが手掛けたものらしい。
教授は、女性が携帯電話で話をしている最中に、庭園を歩いてぶっ倒れ、何の台詞も発せず、そのまま意識を失い入院。このヨジョン・リー教授(ジョセフ・アンソニー・フォロンダ)の息子であるジン(ジョン・チョー)が、入院の知らせを受けて韓国からやってくる。
◇
だが、意識のない相手に付き添っても意味はないと、ろくに病室にも入らないジン。彼には父親との確執があるのだ。父親に愛されなかった息子は、父親の仕事である建築も憎んでいた。
ここまでのヨジュンとジンの父子、そして父親の助手を務めるエレノアとの人間関係は、わかりやすく説明してくれるわけではなく、映画の中に慎ましく置かれたヒントをかき集めてだんだんと理解していくスタイルをとっている。
◇
ジンを演じるジョン・チョーは、『search/サーチ』でずっとPCの前に座って失踪した娘を探していた父親だ。新生『スタートレック』のクルーメンバーでもある(日本人の設定だけど)。
建築を愛する女・ケイシー
一方、地元の図書館で働くケイシー(ヘイリー・ルー・リチャードソン)は、建築好きであるが薬物依存症である母親マリア(ミシェル・フォーブス)の面倒をみているため外で学べず、コロンバスに留まり続けていた。
図書館の同僚ガブリエル(ロリー・カルキン)のように、図書館学で学位をとって司書になるかが悩みの種だ。仲は良さそうだがいつもシニカルなガブとは、恋愛関係に発展するのかどうか。
◇
建築ガイドのように、この町の建造物に明るいケイシー。演じるヘイリー・ルー・リチャードソンはコゴナダ監督の新作『アフター・ヤン』(2022年公開予定)にも出演。先輩ガブを演じるロリー・カルキンは、マコーレー・カルキンを兄とするカルキン兄弟のひとり。そう言われると、どこか面影あるな。
病院を訪れたあと、庭園で仕事の電話をしていたジンと、仕事の合間に外で煙草を吸っていたケイシーが、もらい煙草で会話を交わし、知り合いになる。柵をはさんで出会い、並んで歩くうちに柵がなくなる構図が面白い。
コロンバスの建築物
ケイシーが聴講予定だったヨジョン教授の息子が、韓国帰りのジン。建築好きのケイシーは、建築嫌いのジンを相手に、自分の好きなこの町の建築物をひとつずつ紹介していくようになる。
◇
映画のはじめと終わりに登場するスチュワート橋、ブラウンズビル屋根付き橋、エリエル・サーリネンによるファースト・クリスティアン・チャーチ、エーロ・サーリネンにより設計された、ノース・クリスティアン・チャーチやアーウィン・ユニオン銀行。ハリー・ウィーズによるファースト・バプティスト・チャーチ。コロンバス・シティ・ホール(設計:エドワード・チャールズ・バセット)、クレオ・ロジャース記念図書館(設計:I.M.ペイ)、ファースト・ファイナンシャル銀行(設計:デボラ・バーク)。
ゆっくりと時は流れ、そこに静かに美しく佇むモダニズム建築。市民生活に溶け込んでいるこれらの優美な建築物を舞台背景と、ケイシーとジンの二人の対話が見事に調和している。なるほど、小津安二郎を意識しているのが分かる。
「モダニズム建築は世界を変えることができるのか?」という問いに魅力を感じて、初の長編作品の舞台にコロンバス選んだとコゴナダ監督は語っている。その問いかけにきちんと答えが出たのか、ドラマとしての起承転結を求めるひとには少々物足らない作品かもしれない。
だが、建築物もまた出演者であると考えれば、こういう映画の見せ方もまた、ありなのではないかと思う。
近代的な建造物を巧みに作品に取り込む映画作家といえば、ヴィム・ヴェンダースやジャ・ジャンクーあたりを思い出す。そういえばヴェンダース監督には、小津愛を極めた『東京画』や、建物愛を極めた『もしも建物が話せたら』などというドキュメンタリーがあったではないか。コゴナダ監督もそういう系譜のひとなのか。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
互いの非対称さがバランスする
自分の好きな建築物を前に、ジンに建物の蘊蓄を語るケイシー。
「非対称でありながら、バランスを保っているのが素晴らしい」
「まるで建築ガイドがいうような内容ばかりだ。そんなことで君はこの建物が好きになったのか?」
「いいえ。…感動したのよ」
そこから熱い調子で語り合う二人の台詞は、サイレントになって唇の動きしか伝わらない。監督には会話の内容よりも、伝えたいものがこの作品にはあるのだ。
いつの間にかケイシーは、出会ったばかりの異邦人に、自分の母親が男運の悪さから覚醒剤に手を出し、今もそこから抜けるのに苦労していることを語っている。同僚のガブリエルは優しさもみせるが、ここまで踏み込んでくるタイプではない。
ケイシーはジンに心を開くようになるが、年齢差もあるし、この二人が単純に恋愛関係に発展していくようなストーリーではないところが奥深い。
ジンは確執のあった父親に愛されている実感がなかった。だから病室にも行きたくない。韓国の文化では、家族は臨終に立ち会って誰よりも大声で慟哭しなければならない。そんなことは自分にはできないし、したくない。
ジンが米国にきてバーで会っていたエレノアが「夫がいるから帰らないと」と言っていたので、二人は不倫関係だったのかと思っていたが、どうやら若い頃からのジンの片想いだったことが分かる(鏡を活用した二人の寝室のシーンは見事な出来栄えだ)。
彼もまた、寂しさを抱える人生を歩んでいた。だからこそジンは、母の世話のために建築学を学ぶ機会を諦めて、この町に留まる道を選ぼうとしているケイシーには、「勇気を出して外にはばたけ」と背中を押してあげたかったのだ。
建物に見惚れていると見過ごす
ドラマはあるが説明を極力排除している本作では、うっかり建築物に見惚れていると、大事なポイントを見逃してしまう。
ケイシーの母は工場の仕事と掃除の仕事を掛け持ちしているが、たまに連絡が取れなくなる。心配するケイシーに、母の同僚のヴァネッサ(シャニ・サルヤーズ・スタイルズ)は、携帯の充電切れだと取り繕うのだが、ある日、それが嘘だと気づく場面がある。
母は職場におらず、伝言を頼んだヴァネッサがどこか他所にいる母に電話をしている様子が窓外から見えるのだ。この場面だけをもって、<母がまだ覚醒剤から抜け出せていない>という結論は思い至らず、観ていて頭をひねった。
◇
ドラマは淡泊のようであって、終盤には感情の盛り上がりがある。ジンの勧めもあって、コロンバスの町を出ようと決意するケイシー。母との一晩の添い寝。クールを装っていながら実はケイシーを好きだったヘタレな先輩ガブリエルの哀愁。そして、旅立っていくケイシーを、モダニズム建築たちが優しく見守っている。
建築好きにはたまらない場所かも、コロンバス。行ってみたい気になる。