『きっと地上には満天の星』
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地下鉄の廃トンネルで育った少女リトルは、まだ夜空を知らない
公開:2022 年 時間:90分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督・脚本: セリーヌ・ヘルド ローガン・ジョージ キャスト ニッキー: セリーヌ・ヘルド リトル: ザイラ・ファーマー ジョン: ファットリップ レス: ジャレッド・アブラハムソン
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ(公式サイトより)
N.Y.の地下鉄のさらに下に広がる暗い迷宮のような空間で、ギリギリの生活を送っているコミュニティがあった。ある日、不法住居者を排除しようと市の職員たちがやってくる。
隠れてやり過ごすことができないと判断したニッキー(セリーヌ・ヘルド)は、5歳の娘リトル(ザイラ・ファーマー)を連れて地上へと逃げ出すことを決意する。
初めて外の世界を体験するリトルは、眩いばかりの喧騒の中で、夜空にまだ見ぬ星を探し続ける。N.Y.の街で追い詰められていく母娘に、希望の光は降り注ぐのだろうか。
レビュー(まずはネタバレなし)
モグラびとの物語
「その場所に子供はいない。5歳くらいの大人はいるけどな」
ジェニファー・トスによる実在した地下コミュニティへの潜入記「モグラびと ニューヨーク地下生活者たち」の引用から始まる本作。
ピタピタと、地下水か何かが滴り落ちる音が通底音のように静かに流れるなか、暗い部屋の中で、窓から夜空の星を見上げている小さな子(ザイラ・ファーマー)が登場する。その名もリトル。
だが、よく見ればそれは星ではなく、地下室に舞う塵が差し込む光にきらめいているのだ。
地下鉄の廃トンネルで育ったリトルは、まだ夜空を知らない。それどころか、地上さえ知らない。そこは、自分の背中に翼が生えたら連れて行ってくれると母が約束してくれた、夢の世界なのだから。
監督・脚本はセリーヌ・ヘルドとローガン・ジョージ。これまでも共同で短編作品を世に出してきており、『Caroline』(2018)がカンヌ国際映画祭の注目を浴びる。
本作は長編第一作であり、セリーヌ・ヘルドはリトルの母親ニッキー役を自ら演じている。原作はないが、冒頭に紹介した「モグラびと ニューヨーク地下生活者たち」にインスパイアされて本作を撮ったという。
舞台はニューヨーク。地下鉄の古さと歴史を考えれば、使われなくなったトンネルなど豊富にありそうな気もするが(東京も同じか)、そこに生まれ育ち、陽光を知らない子供がいるというのは、さすがにフィクションなのだろうか。
住む家のない地下っ子ぐらし
暗くジメジメした環境しか知らないが、そこでシングルマザーのもと、健やかに育ってきた5歳のリトル。マニキュアで遊んでいる姿で、女の子かと気づく。学校には行けないが、デジタルコンテンツの繰り返し再生のおかげで読み書きは出来る。
ニッキーは時おりリトルを置いて地上に出ては身体を売って収入を得、また地下に戻ってくる。不健康な底辺生活にドラッグ漬けでボロボロの身体。だが、どうにも改善のしようがない。
◇
ヒップ・ホップ・ミュージシャンのファットリップが、地下に住むドラッグディーラーのジョンを演じている。
口は悪く見かけも怖そうだが、リトルに気まぐれで算数を教えてくれたり、ニッキーに、この子を地上で学校に通わせろと正論を吐いたりする。案外いいヤツとみた。
何が正しいかは百も承知だが、地上に行っても住む家がない。仲間の一人は、地上で子供を学校に通わせたがクルマで生活していることが通報され、行政施設に我が子を取り上げられた。ニッキーはそれが怖い。だからリトルを地上には連れて行けない。
しかし、そんな生活にはいつか終わりがくる。廃トンネルで不法居住者の摘発が行われ始めた。工事が始まるので退去命令の執行だ。逮捕はしないというが、母子は生き別れになるだろう。ニッキーは追っ手を逃れ、娘と地上への脱出を余儀なくされる。
初めての地上、初めての陽光
ざっと、ネタバレにならない程度に序盤までの展開を語ったが、小さな子供を抱いた母親が、ずっと幽閉されていた部屋から何年かぶりに地上に脱出する姿が、ブリー・ラーソンの『ルーム』(2015)を思い出させる。もっとも、あちらは、悪い男に監禁されていた訳だが。
◇
本作は低予算ゆえか、ロケ地も極めて限定的で薄暗い閉鎖空間が中心だし、たまに舞台が変わるかと思えば、何の華やかさもないマンハッタンの地下鉄の駅や車内がせいぜい。
だが、いやだからこそ、これまでリトルが育ってきた環境の非日常さが伝わるし、一人称目線のカメラの緊張感が冴える。初めての地下鉄の駅や車両の眩しさと喧騒に、リトルは全身で拒絶する。
そして初めて浴びる陽の光。それはリトルが思い描いていたものとはまるで違う。翼がまだ生えていないのに、地上に来てしまった報いか。忙しく行きかう大勢の人混み。道路を埋め尽くす自動車。けたたましい警察車両のサイレン。何もかもが攻撃的だ。
不安に苛まれ絶叫するリトル。無理もない。モグラをいきなり地上に出せば、わずかな陽光でも網膜が耐えられない。思えば、地下の世界はなんと静かで落ち着いて、居心地が良かったのだろう。優しい夜が24時間続く世界。
はたしてリトルは、地上に満天の星を仰ぐことができるのか。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。
地上でも苦難は続く
住む家が決まらないと、子供をとられてしまう。その脅迫観念にかられて毎日を過ごす母親の姿をつい最近他の映画でも観たぞ。
ニュージーランド映画の『ドライビング・バニー』(2021)だ。エシー・デイビス演じる母親が、住む家がないため、子供を里親に引き離され、逆ギレして過激行動に走る映画だった。
両者に共通するのは、我が子への限りない愛情と、どんなにもがき苦しんでも底辺生活から抜けられない絶望感。
本作のニッキーも地上で職を探し、本来は頼りたくない相手であるレス(ジャレッド・アブラハムソン)に、風俗仕事を割り当ててもらう。だが、悪党のレスは、5歳の少女に目を付ける。
「金持ちには、こういう娘に触りもせずに高いカネを払ってくれる連中がいるんだぜ、ニッキー」
リトルを汚すわけにはいかない。娘のために、ニッキーはレスの元を飛び出す。
ホームレス母娘は、どこにいっても行き詰る。食事もベッドもない母娘に、良かれと思って支援組織に電話をしてくれる人がいる。だが、それがきっかけで娘を取られてはたまらない。ニッキーはただ逃げまわるしかない。
これはあの子のチャンスだろ
本作の白眉ともいえるクライマックスの展開。以下はネタバレになる。
なんと、駅に迷い込んだ小鳥に気を取られていたリトルが地下鉄に乗り損ね、娘をホームに残したまま、ニッキーだけを乗せた地下鉄が走り出してしまう。パニックに陥るニッキー。
何せ初めて地上にきた5歳児だ。次の電車で母親が戻るまで駅でおとなしく待っていてくれるか。しかも、迷子として保護されれば、二度と彼女のもとには戻ってこないかもしれない。
◇
結局、何時間か探しても、リトルはみつからない。地下に戻るとジョンが心配してくれるが、最後に彼女に告げる。
「もうリトルは保護されている。連中からは取り戻せねえ。こんな地下なんか家じゃねえよ、ニッキー!これはあの子のチャンスだ。ここまでだ」
その言葉の意味を噛み締めるが、ニッキーは諦めきれない。執念で捜索を続け、そしてついに地下鉄の車内でイスの下に潜り込んで横たわっている少女をみつける。
ここから先の展開は、過激行動に走った『ドライビング・バニー』とは真逆の内容だった。
劇中、麻薬に溺れるニッキーの姿には母親失格という烙印を押したくなったが、米国の格差社会に苦しむなかでの母親の苦渋の決断には、胸を打たれた。
ベタな邦画と違い、最後に涙をもってきてウェットな締めにしないところもいいではないか。