『はい、泳げません』
水嫌いの大学講師の長谷川博己を、泳げるようにしてみせると水泳コーチの綾瀬はるか。人生を前に進ませろ。
公開:2022 年 時間:113分
製作国:日本
スタッフ 監督・脚本: 渡辺謙作 原作: 髙橋秀実 『はい、泳げません』 キャスト 小鳥遊雄司: 長谷川博己 薄原静香: 綾瀬はるか 美弥子: 麻生久美子 奈美恵: 阿部純子 笹木ひばり: 伊佐山ひろ子 葦野敦子: 広岡由里子 橘優子: 占部房子 英舞: 上原奈美 鴨下教授: 小林薫
勝手に評点:
(悪くはないけど)
コンテンツ
ポイント
- 長谷川博己が泳げないのにも、綾瀬はるかが水泳コーチで初心者歓迎しているのにも説得力はないが、これは単なる水泳スポ根ものではなく、人生哲学を掘り下げる映画なのだ。
- ただ、前半のコメディタッチが後半でシリアス転調するのにはさすがに順応できず、また舞台の多くが室内プールという点で変化の乏しさも否めず。
あらすじ
大学で哲学を教えている小鳥遊雄司(長谷川博己)は水に顔をつけることが怖く、泳ぐことができない。これまで頭でっかちな言い訳ばかりして水を避け続けてきたが、ひょんなことから水泳教室に通うことに。
プールを訪れた彼に強引に入会を勧めたのが、陸よりも水中の方が生きやすいという風変わりな水泳コーチ・薄原静香(綾瀬はるか)だった。
静香が教える賑やかな主婦たちの中にぎこちなく混ざった雄司は、水への恐怖で大騒ぎしながらもレッスンを続ける。
レビュー(まずはネタバレなし)
不安は的中した
全く泳げないことを堅苦しい言い訳で逃げまくる大学の哲学講師に長谷川博己、そして彼を泳げるようにすると確約する水泳コーチに綾瀬はるか。大河ドラマ『八重の桜』(2013)で女主人公とその夫を演じて以来の人気俳優の久々の共演に興味はそそられた。
◇
ただ、ポスタービジュアルに使われるのは、屋内プールの水中で直立する二人。険しい表情の長谷川博己に、なにかをアドバイスしているような綾瀬はるか。うーん。ここからどんな映画的な広がりがあるか。
金槌の男が25メートル程度泳げるようになったところで、それが映画化に値するとは思えないし、舞台がスイミングスクールの室内プールとすれば、映像的にも変化に乏しいぞ。
などと、観る前に抱いた不安は、残念ながら私の中では的中した。
何をどう伝えたいのか
本作は、何をどのように伝えたい映画なのか、どうにも最後まで分からなかった。特に、前半のコミカルな展開から後半のシリアスへの転調。泳ぐことと人生への向き合い方との半ば強引ともいえる結びつき。
スター選手をベンチに残して応援させているかのような、綾瀬はるかの無駄使い。何もかもが中途半端で、観る者は泣くべきか笑うべきか、戸惑ってしまう。
◇
髙橋秀実による原作『はい、泳げません』は未読だが、本当に泳げない作者が綴った抱腹絶倒のスイミング・エッセイだという。小学生の時にプールで溺れて救急車で運ばれた経験から、水恐怖症になったようだ。
このエッセイにインスパイアされた渡辺謙作監督が、大きく話を膨らませたのが本作であり、主人公の小鳥遊雄司(長谷川博己)のキャラも過去の経緯も、映画オリジナルということになる。
ちなみに渡辺謙作監督には、本作と同じリトルモア制作で永瀬正敏と宮崎あおい主演の『ラブドガン』(2004)を撮っている実績あり。
笑っていいのか、ここで
まずはネタバレ抜きで、前半のコミカルなパートについて触れたい。冒頭、小鳥遊は美弥子(麻生久美子)とデート中、なぜ自分が水泳嫌いかを力説している。
彼女が納豆が苦手というのを引き合いに出すのはよいが、麻生久美子の大阪弁が芸人のそれのようで不自然だし、通りがかりの男女が彼女の口に納豆を流し込む驚きの演出も謎だ。
『アメリ』的な幻想シーンの効果をねらったのだろうが、心の準備もできない冒頭での過激演出に戸惑う。
◇
そしていきなり五年後。哲学の授業で教鞭をとる小鳥遊は、学校の掲示ポスターを見て初心者の水泳教室に体験入学する(綾瀬はるか自身がチラシに載っているのは笑)。これだと、カノジョ目当てで申し込むみたいだけど。
ところで、彼の大学の教え子たちとの交流シーンは、意味ありげに見えてまったく活きていないように思う。
脈絡のない会話で小鳥遊に結婚の保証人を頼み、すぐに結婚・妊娠する学生カップル、いつも授業で寝ていて、生きる意味を彼に問う学生(その答えはテーマに通じるのだとは思うが、とってつけたよう)。
そして、禅寺で坊主をやっているのに、私服はファンキーな旧友の意味のない目立ち方。
みんな、どこかチグハグだ。
キャスティングについて
主人公の小鳥遊役に長谷川博己。とても泳げないようには見えないが、そのギャップが面白いともいえる。教鞭をとる彼の姿は、映画にもなったドラマ『鈴木先生』を思い出す。
小難しい台詞を早口でまくし立てるのは長谷川博己の得意技だが、本作でも「認識」と「記憶」について授業で語り、認識しないものは記憶されないことについて、早口言葉のように語るシーンは圧巻だ。
水泳レッスンでブルース・リーのように固まってしまうのも笑える。ただ、彼の笑えるシーンがみな、実はその裏にある哀しい出来事と背中合わせになっていることは、観る者に後味の悪さを与える。
スイミングスクールのコーチ・薄原静香役に綾瀬はるかというのも、絶妙なキャスティングとは思った。だが、前述したように、彼女の良さを活かしきれていない。
それは何も、彼女の水着がスパッツタイプで露出が少ないからという意味ではない。さすがに『おっぱいバレー』(2009、羽住英一郎監督)的な役は今更やらないだろうし、今回の水着選びも、いろいろ衣装選びした結果というから、プロっぽさで選んだのだろう。
だが、初心者クラスゆえか、彼女が美しいフォームで泳ぐシーンはほとんどないし、小鳥遊をはじめ生徒に水泳を教えるのも、全て台詞でというのがつまらない。
彼女の指導内容が、彼の人生哲学を変えていくことになるのだが、それらはすべて台詞によるもので、語り過ぎという印象が強い。
綾瀬はるかが優れたコメディエンヌの素質の片鱗をみせる不可思議な街歩きのシーンでさえ、まったく笑いを取れていないのも残念だった。彼女がトラウマをトラシカって言い間違えなる台詞も、オジサンっぽくてイタい。
◇
初心者クラスの生徒は、新参者の小鳥遊を除けば、みんなオバサン連中(伊佐山ひろ子、広岡由里子、占部房子、上原奈美)。だが、毒舌たっぷりで楽しい。彼女たちのおかげで、映画が若干明るくなっている。
そしてレッスンを通じて上達していく小鳥遊が、そのポイントを一つずつ心に唱えながら泳ぐ姿は共感できる。
「無心、ひねって伸ばす、借金返済(これは水中で息を吐くことの意)」
この繰り返しは楽しい。
レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
やっぱり出てきた重苦しい過去
さて、いよいよシリアスな骨格部分に触れる。小鳥遊はなぜ突然、避けていた水泳を習おうと決意したのか。それには、理容師をしている交際中のシングルマザー・奈美恵(阿部純子)の存在が関係している。
◇
小鳥遊には、離婚した前妻・美弥子(麻生久美子)との間に男の子がいた。それは、彼の暮らすマンションに、いまも子供部屋がそのまま残っていることで分かる。だが、どうもただの離婚ではないことが薄々分かってくる。
彼の息子は川で水難事故に遭った。小鳥遊は飛び込んだが、泳げないために川に流され岩に頭を打ち、その事故の記憶を失う。息子は水死したが、彼はその記憶のないことに苦しむ。結局、夫婦は離婚の道を選ぶ。
小鳥遊は奈美恵ともその息子とも親しくなり、今度こそ父親として子供を守りたい、そして亡くした息子を忘れずに、しかし人生を前に歩んでいきたい。
そう小鳥遊は切に願い、水泳を覚えようとした。そういう話だったのだ。とはいえ、うまく進まない人生に、薄原コーチが寄り添いながら、彼の背中を押す。
つっこませてくれ
うーん。そういう重い話なら、先にそう言ってくれよ。そんなら、ちょっと泳げただけで、小鳥遊がスーパーの店頭で『Shall we ダンス?』(周防正行監督)風に軽やかに踊ってたのは、演出おかしくねえか?
◇
それに、難をいえば綾瀬はるかの水着にはコーチっぽいリアルさを求めたくせに、水泳レッスンについては、どうみても本物っぽさがない。
これは私の通っていたスクールとの比較なので思い込みかもしれないが、室内プールのレッスンって、もっとあちこちのレーンで複数のクラスをやったり、利用者が泳いだりしているものではないのか。
本作のレッスンは常に貸切のように見えており、スクールの経営が成り立っているのか心配になる。
そもそも、スタッフだって、薄原コーチ以外誰も登場しないのは不自然すぎる(電話を取る声だけはあったが)。このスクールが実在しない心霊現象だったというオチかと思ったほどだ。
「夜のプールもいいでしょ」って、恋人同士の台詞じゃないんだから(意外なことに、この二人には、恋愛感情は芽生えないのだ)。
生徒を呼びつけたコーチが暗いプールの真ん中にひとり浮いてたら、いくら綾瀬はるかでも結構怖い。傑作ホラー『ぼくのエリ 200歳の少女』(トーマス・アルフレッドソン監督)が頭をよぎる。
◇
亡くなった子供の着ていた黄色いジャケットだけが色付きとなるモノクロの回想シーン、子供部屋の遺品整理。そして一瞬だけの我が子の亡霊登場。<泣かせんかな>の演出をこれだけ投入されても、どうにも涙腺は緩まなかった。
まあ、ラストのハッピーエンドには、ほっとさせられたけどね。