『ノーカントリー』
No Country for Old Men
コーマック・マッカーシーの原作をコーエン兄弟が映画化。血と暴力に染まる世界に、神は、正義はあるか。
公開:2008 年 時間:122分
製作国:アメリカ
スタッフ 監督: ジョエル・コーエン イーサン・コーエン 原作: コーマック・マッカーシー 『血と暴力の国』 キャスト エド・トム・ベル保安官: トミー・リー・ジョーンズ アントン・シガー: ハビエル・バルデム ルウェリン・モス: ジョシュ・ブローリン カーソン・ウェルズ: ウディ・ハレルソン カーラ・ジーン・モス: ケリー・マクドナルド ウェンデル保安官助手: ギャレット・ディラハント ロレッタ・ベル: テス・ハーパー エリス: バリー・コービン
勝手に評点:
(一見の価値はあり)
コンテンツ
あらすじ
狩りをしていたルウェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)は、死体の山に囲まれた大量のヘロインと200万ドルの大金を発見する。
危険なにおいを感じ取りながらも金を持ち去った彼は、謎の殺し屋アントン・シガー(ハビエル・バルデム)に追われることになる。
事態を察知した保安官ベル(トミー・リー・ジョーンズ)は、二人の行方を追い始める。
今更レビュー(ネタバレあり)
マッカーシー×コーエン兄弟の破壊力
ピューリッツァー賞作家のコーマック・マッカーシーによる原作を、コーエン兄弟が映画化した作品。これまでの彼らの作風と比較すれば、格段に暴力的な作品に仕上がっていて、衝撃を受ける。
映画は冒頭、ガスボンベを抱えた不気味な大男が、自分を逮捕した保安官補を手錠のまま背後から襲い絞殺する。ハビエル・バルデムが演じる、この無口なサイコ殺人鬼アントン・シガーのキャラクターの怖さ、それにボンベと組み合わさった家畜屠殺用のエアガンという、一見滑稽だが殺傷能力抜群の武器が、本作に強烈な印象を与えている。
ジョシュ・ブローリンが演じるヴェトナム帰還兵のルウェリン・モスが、メキシコ国境の近くで、撃たれた車両と何人もの男たちの射殺死体を発見する。麻薬密売にからむ銃撃戦だ。クルマに残された莫大な現金をみつけ、ルウェリンはそれを持ち帰る。
だが、彼は悪党になりきれなかった。水を欲しがっていた瀕死の生存者が気になり、深夜に現場に赴く。しかし、既に男は銃殺されており、ルウェリンは待ち伏せしていたメキシコ人の組織に見つかり殺されそうになる。
一方、冒頭に登場したシガーは、カネを奪われた米国側の組織が雇った男だ。置き去りにされたトラックからルウェリンの身元を割り出し、執拗に彼を追いかけ始める。
そして、この町の保安官を務めるエド・トム・ベル(トミー・リー・ジョーンズ)が、事件の捜査に乗り出す。麻薬取引に遭遇し大金をくすねたルウェリンを、とてつもなく危険な男シガーが追いかけ、更にそれを保安官が追う。
難解だがそこに面白味があるのかも
こうして役者は揃い、人物の相関関係はわかってくるが、映画そのものは、実は結構難解な内容になっている。少なくとも、犯行を繰り広げる殺人鬼が次第に追い詰められ、最後は射殺されたり逮捕されたりと、そういう親切設計な展開ではまったくない。
本作を観終わって、「何だかよく分からなかった」という感想を持つ人は多いだろう。私もそうだった。あのラストでベル保安官が語った父の夢の話を、「納得できるエンディングだった」と初見で言える人がいたら、感服する。
ただ、それじゃ本作はつまらない映画だったかと問われると、意見が割れると思う。
シガーの巻き起こす数々の殺人や、ルウェリンを追い詰めていく過程の張り詰める緊張感、そして事件を追うベル保安官の心中の声。そこに面白味を見出すことはできるし、何度も観返すことで発見する部分も多そうだ(何度も観ないと分からない映画は、個人的には好きではないが)。
白状してしまうと、私は偉大な作家コーマック・マッカーシーの作品はどうも苦手である。傑作と言われた「ザ・ロード」は原作も映画も馴染めなかった。
本作の原作「血と暴力の国」も読んだが、あまり入り込めなかった。これは私の読み方にも原因がある。彼の著作には心理描写は少なく、外形的な描写を重ねていくことで物語を進めていくスタイルが多い。なので、その描写を丹念に読み取らなければ醍醐味が味わえないのだろうが、私は読むスピードが速すぎるのか、大事な箇所を読み飛ばしがちだからだ。
好きなディテールと混乱した部分
映画はその点では分かりやすかった。原作と映画では、当然ながら省略した部分もあればオリジナルで加えた部分もある。
シガーが立ち寄ったガソリンスタンドで不気味にピーナッツを噛んでいたり、ルウェリンのトレーラーハウスに侵入して冷蔵庫の牛乳を飲んだり、ルウェリンのモーテルに接近すると受信機の反応が強まっていったり、ダクトに苦労してトランクを隠し、裏に隣接する部屋から取り出したり。
ここはうまいなと思わせるシーンの多くは原作由来のものだったが、コーエン兄弟は、それをうまく映像化している。
私が途中で混乱してしまったシーンは二つある。
一つはルウェリンが最初に泊まったモーテルで、彼はもう一部屋追加で借りたはずなのに、シガーが襲撃した元の部屋にはメキシコ人が滞在していたこと。
なぜ、別の客が泊っているのか悩んだが、シングルベッドの部屋に銃で武装した三人の男がいたのだから、彼らもまた、メキシコからのルウェリンの追っ手だったのだろう(どうやって所在をつきとめたのかはともかく)。
もう一つの謎は、終盤でベル保安官が、ルウェリンの撃たれた犯行現場となったモーテルの部屋に、シガーが戻ってきているのではないかと疑い、単身で入り込むシーン。
シガーが潜んでいるワンカットがインサートされるが、鉢合わせはしない。部屋に落ちていたコインやはずされたダクトから、カネを取りにシガーが来たことは暗示されているが、あのタイミングで部屋にいたのか。
シガーが潜んでいるシーンには、彼が撃ち抜いたドアの鍵穴からベルらしき人物が動く様子も窺え、やはり部屋にはいたのだろう。保安官が奥の洗面室に入った隙にカネを持って逃げた。対戦しなかったのは、トランクを持つために、かさばる銃器類を携帯していなかったか。
キャスティングについて
それにしても、シガー役にハビエル・バルデムとはよく考えたものだ。彼が悪役をやることはあっても、あのカツラによる独特な風貌は本作のイメージを決定づけた。『007 スカイフォール』で彼が演じた悪役のキャラ設定も、本作での強烈な印象から生まれたものかもしれない。
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一方、彼に追われ続けるルウェリンは、不気味過ぎるシガーに比べると、だいぶ親近感が持てる。
ジョシュ・ブローリンは同じコーエン兄弟の『ヘイル、シーザー』ではトラブル処理の達人だったが、本作ではやられっ放しで最後まで散々な役だ。『ボーダーライン』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)もそうだが、メキシコの国境近くというのは、彼には何かと縁が深い。
そしてベル保安官にトミー・リー・ジョーンズは、待ってましたと言わんばかりの配役だ。原作ではこのベルの独白が相当に多いのだが、本作はだいぶ省略されている。なので、なかなか内面まで伝わりにくいが、「最近の犯罪は理解できない。恐ろしいわけじゃない。この仕事をするには死ぬ覚悟が必要だ」と言いのける正義感である。
しかしながら、本作は普段トミー・リー・ジョーンズが登場するような西部劇的な結末ではない。ベルは結局、魂を危険にさらすべき時に“OK”と言えず、引退を決意する。
途中参加でこの逃走劇にからんでくる、もう一人の殺し屋カーソン・ウェルズも、なかなか興味深いキャラクターだった。演じるは、『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』でヴィランを務めたウディ・ハレルソン。
本作のユニークな点
さて、本作(およびその原作)は、一般的な映画的な作劇とはだいぶ様相が異なる。たとえば、上述のカーソン・ウェルズ。なかなかシガーを仕留めるために雇われた、なかなか魅力的なキャラなのに、登場後あっという間に返り討ちにあってしまう。
そして、主人公だと思っていたルウェリンなどは、さんざん逃げ回った挙句に、エル・パソのモーテルでシガーに殺されてしまったようだ。と、推測で書いているのは、これほどのメインキャラなのに、殺されたシーンが登場しないから。いかにも人を食った演出はコーエン兄弟っぽいが、原作からして、こうなのだ。
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そしてその妻、カーラ・ジーン・モス(ケリー・マクドナルド)も同様に、その後シガーに殺されたであろうことが暗示される。カネを奪還しており、もはやカーラが殺される謂れはないが、そこはそれ、シガーのサイコキラーらしいこだわりである。
ベル保安官に至っては、結局最後に殺人現場のモーテルでシガーと会わずじまいだったので、この男と対峙していないのだ。主人公の保安官が真犯人と出会わない映画というのは、実に珍しい。
カーラを殺したあとにシガーはクルマの衝突事故で怪我をするが、そのまま生き延びて失踪する。原作では、この事故に出くわした少年たちにベルが聞き込み調査をし、シガーを逮捕しようと踏ん張るシーンがあるものの、まあ行きつくところは変わらない。シガーは逃げ、ベルはバッジを置く。
死ぬ覚悟で仕事を続けていたベルだったが、歳をとって決意が鈍ったためか、退職に至る。彼は死んだ父親の生き方を半ば軽蔑していたのだが、最近になって夢を立て続けにみている。父と自分は近しい生き方だったと感じたのかもしれない。
そして、死ぬ覚悟などできていない多くの人々を殺し続けたシガーは、まだ懲りずに動き回っている。もはや、昔の常識や正義が通用するような世界ではないのだ。老いぼれが通用するような国などもはやない。そういう意味に思えた。