『ONCE ダブリンの街角で』 ONCE
ダブリンの路上、生ギターで歌う男がチェコから来た花売り娘と出会い、一緒に音楽を作っていく。まずはハートに沁みる、二人の歌を聴いてほしい。
公開:2007 年 時間:87分
製作国:アイルランド
スタッフ
監督: ジョン・カーニー
キャスト
男: グレン・ハンサード
女: マルケタ・イルグロヴァ
ティミー: ヒュー・ウォルシュ
リード: ゲリー・ヘンドリック
ベーシスト:アラスター・フォーリー
エイモン: ゲオフ・ミノゲ
男の父親: ビル・ホドネット
女の母親: ダヌシュ・クトレストヴァ
勝手に評点:
(オススメ!)
コンテンツ
あらすじ
ダブリンの街角で毎日のようにギターをかき鳴らす男(グレン・ハンサード)は、ある日、チェコ移民の女(マルケタ・イルグロヴァ)と出会う。
ひょんなことから彼女にピアノの才能があることを知った男は、自分が書いた曲を彼女と一緒に演奏してみることに。すると、そのセッションは想像以上の素晴らしいものとなる。
今更レビュー(まずはネタバレなし)
路上ミュージシャンと花売り娘
この作品は、見るからに低予算ながら、何とも愛おしい音楽映画。私も以前は路上や公園で演奏をしていた、ストリートミュージシャンの端くれなので、一応伝わってくるものがある。
徹夜でスタジオ録音するシーンなど、つい観ている方も、演奏し通しで夜明けを迎えたような疲労感と達成感を覚えてしまう。
主人公の二人の感情表現がとても淡いので、恋愛ものといって正解かどうかは微妙だが、とてもロマンティックな作品でもある。
◇
移民が多いアイルランドのダブリンを舞台に、プロのミュージシャンを目指しているストリートミュージシャンの男と、チェコからやって来た花売りや家政婦をしている若い女の出会い。
役名もないのだが、男はグレン・ハンサード、女はマルケタ・イルグロヴァが演じている。ともに本業はミュージシャン。
◇
グレン・ハンサードはアイルランドのロックバンド、ザ・フレイムスで活動するボーカル兼ギター。監督のジョン・カーニーもかつてはこのバンドのベーシストであり、グレンを口説き落として出演させる。
なんと当初はクリストファー・ノーラン監督作品の常連キリアン・マーフィー(オッペンハイマー!)を起用する案もあったそうだ。彼は好きな俳優だけれど、本作には少し無骨な感じのグレン・ハンサードで大正解と思う。
◇
一方のマルケタ・イルグロヴァもまた、チェコを中心に活躍するシンガーソングライター。この二人の不器用な付き合い方が何とも微笑ましい。
ゆっくりと落ちていく
男は生ギター一本持って路上に立ち、昼はメジャーな曲で日銭を稼ぎ、夜は人気も途絶えた繁華街でオリジナル曲を絶唱する。それを聴いていた女が10セントを投げる。
しけた金額のチップに失望する男だが、あとから思えば、爪に火を点すような極貧生活の女が、ちゃんとチップを払うのだから、女も男の歌に心を動かされたのだろう。
とりとめのない会話から、男がフーバー(掃除機で有名な家電メーカー)の修理仕事をしていることを聞き出し、女は翌日故障した掃除機を持って、路上で歌う男の前に現れる。犬の散歩のように昼間の繁華街に掃除機を転がしてくる女が何ともカワイイ。
◇
女はチェコからの移民だが、亡き父は音楽家で、自分もピアノを弾く。楽器店の好意で、昼休みの間だけ売り物のピアノを弾かせてもらっているのだという。
そこで、二人は楽器店にいき、男のオリジナル曲に即興で女が伴奏。ここで初めて披露する『Falling Slowly』の曲がすばらしく、鳥肌が立つ。
持ち歌だから男は力強く歌い、知らないメロディだから、女は怖々と弾き、静かにハモる。心憎い演出が、この曲の美しさを引き立たせる。
低予算ならではの手作り感がいい
このシーンに限らず、本作はまるで自主映画のような粗い画質と画角、そして手作り感のあるカメラワークで、どこからどうみても低予算の映画である。
だが、そこがいい。だからこそ、このダブリンという町の片隅で出会った二人の物語にふさわしい(ついでにいうと、邦題にのみついた副題も良いセンスだと思う)。
米国で当初ニ館のみだった上映映画館が、徐々に増えていったという話も、本作のイメージに馴染む。
◇
ジョン・カーニー監督は本作のヒット以降も、『はじまりのうた』や 『シング・ストリート 未来へのうた』といったミュージシャン路線の映画を世に送り出しているが、やはり本作が白眉である。
こういう作品は、いくつも撮れるものではない。奇跡の一本だ。
◇
男は母を亡くし、電化製品の修理屋を営む父親と二人暮らし。男には恋人がいたがフラれてしまい、彼女はロンドンに行ってしまった。
女のほうは、チェコから来た母親と小さな娘の三人で暮らしている。夫はチェコに離れて疎遠になっている。ストリートミュージシャンと花売り娘。一体いつの時代の話だ。
ダブリンの町は冷たそうで優しい
CDプレイヤーの電池を買うのにも決心がいる貧困生活の女。ケン・ローチの映画のような、困窮したダブリンの社会の底辺。だが、本作が描くダブリンは、なぜかとても優しく温かい。
男の音楽活動に伴奏や作詞で協力し始める女。やがて男はミュージシャンとしての成功を夢みて、自分のオリジナル曲を、スタジオを借りてレコーディングしようと思い立つ。
◇
その折々に歌われる二人の歌もよいが、その過程で出会う人々たちがまた、みんな憎めない善人ばかりだ。
レコーディングに協力してくれたストリートミュージシャン仲間、自分もかつて音楽をやっていたからと共鳴してくれた銀行の融資担当者、始めは斜に構えていたが歌を聴いて献身的にサポートしてくれた録音技師。
みんなで徹夜して作り上げたデモテープ。夜明けのダブリンを、カーステレオで試聴しようと古いメルセデスのワゴンで走るハイな気分。
思えば、ピアノを弾かせてくれる楽器店の主人も、冒頭に路上でチップをかっさらおうとして男に追いかけられた自称病人の若者も、みんな心根はやさしそうだった。
たやすく恋には落ちない
本作で感心するのは、路上で出会った二人が、単純に恋に落ちない点だ。うかつにも、出会ってすぐに男は「泊っていかないか」と女を自室に誘い、断られて気まずい空気になる。
そこから二人の仲は修復し、互いに信頼関係を築くが、けして不倫には走らない。女は夫とは実質別居中ではあるものの、安っぽい恋愛ドラマのように安易にはなびかないのだ。
◇
「キミは夫を愛しているの?」
男は女に教わったチェコ語でそう尋ねる。女の返答はチェコ語なので、男には分からない。
それは「私が愛しているのはあなたよ」という意味だそうだが、なんと字幕も出さない奥深さ。男に好意を寄せていることは当然わかるが、ここまで自分の気持ちを胸に秘め、けじめをつける姿勢が泣かせるではないか。
今更レビュー(ここからネタバレ)
ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意願います。
hanky-pankyはダメよ
だが、恋の行方は最後まで分からない。恋愛映画であれば、通常は徹夜でレコーディングも成功したとあれば、そろそろ誘われるままに男の部屋で朝食食べて、そのまま結ばれるのかと思うのも無理はない。
でも、ここでの女の台詞がいい。「間違い(hanky-panky)があったらよくないわ」
なるほど、hanky-pankyとは性的な不道徳行為をいうのだ。勉強になった。最後まで身持ちが固い女に、マルケタ・イルグロヴァのいたずら好きそうな顔立ちが合う。
◇
男はギター一本さらしに巻いて、ロンドンに旅立つことにする。頑固そうな父親がデモテープを聴いて絶賛し、「餞別やるからすぐに出発しろ、死んだママを喜ばせてやれ」と表情を崩すのがいい。
男は、未だに忘れられないロンドンの元彼女に連絡をとり再会を約し、一方女のもとにはチェコから夫がやってくることになった。いよいよ二人もお別れだ。
だが、クライマックスなのだろうと期待させるこの場面でさえ、本作は鮮やかに読みをはずしてくる。
何だろう、このすがすがしい気持ちは
出発直前、男が女の家を訪ねると仕事で不在。そこには幼い娘と、女の母親しかいない。「では後で連絡します」と言っても、この家には電話もケータイもないのだ。
「じゃあ、向こうから手紙書きます」
そう、なんと最後まで男は女と会えずじまいなのだ。これは予想外の肩すかしだったが、振り返ってみると、このすれ違いもまた、映画としては悪くない。
そして、最後にはちょっとした小粋な小ネタが残されている。このエンディングは恋愛映画らしからぬユニークさで、不倫ものにはない清涼感が残る。
◇
かつて、同名のミュージカルが六本木で公演されたときに、観にいく予定だったが仕事の都合で行けなかったことを思い出した。あの頃は、ブロードウェイミュージカルを映画化したのが本作だと思い込んでいたが、映画を舞台化したのだと今回知った。
機会を逸したのは残念だが、この作品はあの二人による映画だからこそ、強く印象に残っている気もする。今でもたまにサントラを聴いてしまう、私の中ではカルト的にお気に入りの一本。