『あのこと』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『あのこと』考察とネタバレ|危険な恋をしちゃいけないぜスキャンダル

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『あのこと』
L’evenement

中絶が刑務所送りの1960年代のフランスで、独りでもがき苦しむ女子大生の闘い。

公開:2022 年  時間:100分  
製作国:フランス

スタッフ 
監督:   オードレイ・ディヴァン
原作:   アニー・エルノー
                       『事件』
キャスト
アンヌ: アナマリア・ヴァルトロメイ
ジャン: ケイシー・モッテ・クライン
ガブリエル(母):サンドリーヌ・ボネール
ブリジッテ:ルイーズ・オリー=ディケーロ
エレーヌ: ルアナ・バイラミ
オリヴィア:ルイーズ・シュヴィヨット
ボネ教授: ピオ・マルマイ
リヴィエール医師:  アンナ・ムグラリス
ラヴィンスキー医師:
      ファブリツィオ・ロンジョーネ

勝手に評点:3.0
(一見の価値はあり)

(C)2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINEMA – WILD BUNCH – SRAB FILM

あらすじ

労働者階級に生まれたアンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)は、貧しいながらも持ち前の知性と努力で大学に進学。未来を掴むための学位にも手が届こうとしていたが、大切な試験を前に自分が妊娠していることに気づく。

中絶が違法とされる中、解決策を見いだすべく奔走するアンヌだったが…。

レビュー(まずはネタバレなし)

中絶は刑務所行きという時代

2022年のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノー。彼女の著書『事件』を映画化した本作は、中絶がまだ違法だった1963年のフランスで、妊娠してしまった主人公の女子大生の物語。

堕胎して学業を続けたいという苦悩や葛藤、そして闇で行われていた危険な堕胎の実態を克明に描いた作品だ。

監督はオードレイ・ディヴァン。二作目となる本作で、ヴェネツィア国際映画祭の最高賞である金獅子賞を受賞している。

フランスの大学生活。主人公のアンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)はじめ、仲の良い女学生たちが、夜のパーティで男たちの目を惹く。近づいてきたのは、学生ではなく、町の消防士。

アンヌは文学部の学生だが、教授(ピオ・マルマイ)も一目置く、優秀な生徒のようだ。

だが、そんな彼女が、生理がこないと悩む。かかりつけの医者(ファブリツィオ・ロンジョーネ)からは、淡々と「妊娠している」と告げられる。

「学生なの。どうにかして」
「(そんなことしたら)刑務所行きだ」

(C)2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINEMA – WILD BUNCH – SRAB FILM

60年代初の女子大生

アンヌは1940年生まれ。つまり60年代初めのフランスでは、中絶は非合法で、堕胎に関わった者は逮捕されてしまう時代だったのだ。

この医師の反応はけして過剰なものではなく、他の医師も同様の反応を見せるし、初めはひた隠しにしていた妊娠を打ち明けた親友たちも、彼女に親身になってくれるというよりは、違法行為にはわずかでも関わり合いはゴメンだというスタンス。そういう環境下で、アンヌはひとり苦しむ。

はじめのうちは時代背景もよく分からず、今よりも少し古い時代の大学が舞台かと思って見ていたが、60年代初頭となれば、フランスではいざ知らず、日本ではまだ女子の多くが大学に進むまでの時代ではない

少数派とまでは言わないものの、それなりに裕福だったり、教育熱心な家庭の娘が進学していたはずだ。アンヌの周囲にいる女生徒も、良家のお嬢さんたちなのだろう。

(C)2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINEMA – WILD BUNCH – SRAB FILM

だが、彼女は少し毛色が違う。あくまで庶民派だ。だが人一倍向学心はある。はじめは教師を目指しているし、やがて作家志望に変わる。

そんな彼女にとって、望まぬ妊娠・出産は、大学卒業を断念することであり、社会で上を目指すことを諦めることでもある。

中絶規制にもお国柄

若い女性が妊娠し中絶の苦悩を描く作品としては、最近では『17歳の瞳に映る世界』(2021、エリザ・ヒットマン監督)を思い出す。あれも重苦しい映画だった。

ペンシルベニア州では未成年者は両親の同意がなければ中絶手術を受けることができないために、ニューヨークで手術を受ける映画。

米国では長年「中絶は合衆国憲法で認められた女性の権利である」とされてきたが、2022年に、半世紀ぶりにその判例が覆された。中絶規制の判断は各州に委ねられ、禁止する州は10を超える。

『17歳の瞳に映る世界』に登場した越境堕胎は、現実に日常的な問題となっている。

フランスではどうか。シモーヌ・ヴェイユという女性政治家の努力により、1975年に妊娠中絶を合法化する通称「ヴェイユ法」が可決している。カトリック信者の多いフランスでは画期的なことだったらしい。

ちなみに日本で中絶が合法化されたのは1948年だ。若尾文子で映画化した水上勉『越前竹人形』(1963)では、非合法時代に中絶できずに苦しむ妊婦が克明に描かれている。

ところで、原作者アニー・エルノーの著書は、そのほとんどが自伝小説だという。本作も例外ではなく、彼女は実際に多くの女性たちと同様に、闇堕胎を経験している。その実体験から本作が生まれているのだ。

原作を読んでみると、より生々しい描写はあるものの、終盤の闇堕胎のシーンを含め、ドラマとしての迫力と盛り上がりは、本作も負けていない。

(C)2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINEMA – WILD BUNCH – SRAB FILM

主人公アンヌを演じたアナマリア・ヴァルトロメイの負けん気の強そうな眼差しがいい。アンヌというキャラクターは、ただ美しく若い娘というだけではダメなのだ。

この、自分の未来をつかむために、孤立無援でも頑張り向く気丈さと眼力が必須アイテムなのである。美少女時代のデビュー作『ヴァイオレッタ』(2011、エバ・イオネスコ監督)以来、日本では公開作がなかったが、本作で強烈な印象を与えたはず。

レビュー(ここからネタバレ)

ここからネタバレしている部分がありますので、未見の方はご留意ください。

絶望の果てにたどり着く場所

誰にも頼れないアンヌ、週を経るごと胎児は大きくなっていく。切羽詰まった彼女は、自力で堕胎をしようと試みる。

この手の話には、和洋を問わず、妊娠に苦しむ女性を取り巻く男の方は精彩を欠く存在である。

本作でも、お腹の子の父親であるボーイフレンドも、彼女にちょっかいを出す男友達のジャン(ケイシー・モッテ・クライン)も実に冴えない男たちだ。

ジャンに至っては「妊娠してるなら、安心だからナマでやらせろよ」的なゲスな台詞まで吐く始末。

(C)2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINEMA – WILD BUNCH – SRAB FILM

そして医師にも見放され、自ら火かき棒のような金属棒を加熱消毒し、鏡を見ながら股間に突っ込むアンヌ。見ている方が叫びたくなる荒療治。まさか、これもアニー・エルノーの実体験からきているというのか。

だが、そんな自傷行為というか切腹に近い苦労も報われず、胎児は持ちこたえている。彼女の苦境を知った医師が処方してくれた薬も、なんと流産を予防する薬だったのだ。まあ、そりゃそうだ。違法行為に加担するわけがない。

絶望の果てに、アンヌがたどり着いたのが、非合法で堕胎手術をしてくれる闇医者の女医リヴィエール(アンナ・ムグラリス)

手術費用400フランを、大事な本やジュエリーを売って捻出し、闇医者の家を訪ねる。公衆電話でこそこそと謎めいた会話をして予約を取り付ける様子が、まるでスパイ映画のようだ。

流産と中絶で運命は揺れる

こうして苦労の末に出会えたリヴィエール医師は、救世主のような慈愛のひとかと思いきや、笑顔ひとつ見せない険しい表情の女性。

闇医者なのだから当然かもしれないが、すぐに前金もらって手術を始め、「壁が薄いから、大声をあげたら手術中止するから」と、恐ろしいことを平然と言う。だって麻酔なんてなさそうだし。

必死で声をあげるのを堪えているアンヌのつらさが、ビリビリと伝わってくる。おいおい、『クワイエット・プレイス』かよ。

(C)2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINEMA – WILD BUNCH – SRAB FILM

でも、それだけの苦労を払っても、まだお腹の中の胎児が下りてきてくれない。手術は失敗だったのだ。絶望するアンヌ。これ以上の処置には母体にも生命の危険が高まる。

だが、彼女はリスクを取る。やがて、激しい痛みとともに、学校の女子寮のトイレで、胎児が産み落とされる。へその緒を切って。友人に懇願するアンヌ。ついに友人が協力するが、彼女は失神し、病院に運ばれる。

目を覚ましたアンヌ。カルテに書かれていたのは「流産」。もしも、これが「中絶」となっていたら、彼女は刑務所送りだった。

ウディ・アレン『マッチポイント』(2005)のラストを思い出した。ボールがテニスコートのラインを跨ぐかどうか、運命の分かれ道で勝利の女神が微笑んだように、アンヌは「流産」を勝ち取る。

彼女が最後に作家志望に転向するのは映画オリジナルのようだが、原作者アニー・エルノーを意識して付け足されたものなのだろう。

アスペクト比1.37:1という正方形に近い画面が、不思議な没入感を生み出す。それゆえにさらに重苦しさは増すが、そうあるべき作品なのだ。