『マイ・フェア・レディ』考察とネタバレ!あらすじ・評価・感想・解説・レビュー | シネフィリー

『マイフェアレディ』今更レビュー|スペインでは雨は主に平地に降る

記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

『マイ・フェア・レディ』
 My Fair Lady

人気ブロードウェイ・ミュージカルをジョージ・キューカー監督がオードリー・ヘプバーンとレックス・ハリソンで映画化。

公開:1964 年  時間:170分  
製作国:アメリカ
  

スタッフ  
監督:       ジョージ・キューカー 
脚本:     アラン・ジェイ・ラーナー 

キャスト 
イライザ・ドゥーリトル:
         オードリー・ヘプバーン 
ヒギンズ教授:    レックス・ハリソン 
アルフレッド・ドゥーリトル:
         スタンリー・ホロウェイ 
ヒュー・ピカリング大佐:
    ウィルフリッド・ハイド=ホワイト 
ピアス夫人:   モナ・ウォッシュボーン 
ヒギンズ教授の母: グラディス・クーパー 
フレディ・アンスフォード=ヒル:
          ジェレミー・ブレット

勝手に評点:3.0
    (一見の価値はあり)

あらすじ

下町生まれの粗野で下品な言葉遣い(コックニー訛り)の花売り娘イライザ(オードリー・ヘプバーン)は、言語学の教授ヒギンズ(レックス・ハリソン)と出会う。

教授はひょんなことから、彼女をレディに仕立て上げられるかどうか友人のピカリング大佐(ウィルフリッド・ハイド=ホワイト)と賭けをすることになる。

下品な言葉遣いを直せば一流のレディになれると言われ、教授から言葉や礼儀作法のレッスンを受けることになったイライザは、猛特訓の末に美しいレディへと成長し、華々しい社交界デビューを飾るが…。

今更レビュー(ネタバレあり)

ヒット作だが代表作ではない

ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』を原作としたブロードウェイ・ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の映画化。

初演でヒギンズ教授を演じたレックス・ハリソンは、本作にも同じ役で出演している。監督は女性主演映画ならお任せのジョージ・キューカーキャサリン・ヘプバーン起用の作品が多い監督だが、今回の主役は勿論オードリー・ヘプバーン

本作はアカデミー賞作品賞をはじめ8部門で受賞を果たすなど作品としての世間的な評価は高く、オードリー・ヘプバーン最大のヒット作のひとつであることは認めるが、彼女の代表作というのには個人的にはやや抵抗がある

それはミュージカルでありながら、彼女の歌の部分はほとんどが吹き替えだからだ。

そのせいか、ジョージ・キューカー監督やレックス・ハリソン、衣装デザイナーのセシル・ビートンらは揃ってオスカーを手にしているのに、オードリー女優賞にノミネートすらされていない

しかも、後味の悪い裏話もある。イライザ役を引き受けた彼女は撮影の傍ら日々歌のレッスンにも励んで、意欲満々で本作に臨んでいたというのに、監督は早々に吹き替えで行くことを決断し、それをクランクアップまで彼女に伝えていないのだ。

こうして彼女は監督やスタッフに裏切られたと感じ、悲嘆に暮れる。

ミュージカル界の因縁話

この手の話で思い出すのは、『ウェストサイド物語』(1961、ロバート・ワイズ監督)のヒロイン、ナタリー・ウッド歌の吹き替えをめぐるトラブルだ。などと思っていたら、どちらも吹き替えで歌っているのはゴーストシンガーのベテラン、マーニー・ニクソンだった。

ブロードウェイ・ミュージカルの映画化で、オスカー総獲りの傑作という意味でも、両作品に共通点は多い。やはり作品としては、歌がうまくなくては持たないし、吹き替えはやむなき選択だったのだろう。

だから、作品に罪はないが、オードリーの心中を察すると、ファンとしては複雑な思いの作品なのだ。

ちなみに、オリジナルであるブロードウェイの舞台の素晴らしさは、当時の日産社長(カルロスじゃないよ)が自社のスポーツカーに名付けたくなるほどのものだったらしい(やっちゃうねNISSAN)。

ブロードウェイ初演での評判から、イライザ役にと期待されていたジュリー・アンドリュースは、知名度の問題からか本作には選ばれず、一方年齢的に当初は選外だったレックス・ハリソンがヒギンズ教授に抜擢されるという結果となった。

ジュリー・アンドリュースが適任であることはオードリーも認識しており、だからこそ、引き受けたからには自分が歌わないと失礼にあたるという思いがあったのではないか。

結局、オードリーがノミネートもされなかった1965年の女優賞のオスカーは、皮肉なことにジュリー・アンドリュース『メリー・ポピンズ』で獲得する。ここにもまた、ドラマがある。

お行儀の悪い娘オードリー

さて、そんな裏事情は抜きにして本作を観てみると、育ちの悪い娘を特訓して淑女に育て上げるというプロット自体の面白味がある。

あまりの男性優位社会の描かれ方に、今なら異論がでそうだが、リチャード・ギアジュリア・ロバーツの共演で現代版に焼き直された『プリティ・ウーマン』(1990)の時代なら、まだ、受け容れられる話だったのかもしれない。

本作において恋愛要素は、終盤まで皆無といってよく、軽妙な仕上がりのミュージカル・コメディになっている。

『麗しのサブリナ』のお抱え運転手の娘役の頃のオードリーも、裕福ではないが質素な服装ながらも美しい娘だった。だからここまで(コントのように)汚らしい小娘オードリーは、なかなか見られない。コックニー訛りも相まって、品の悪さではこれまでにないレベルの役を演じている。

彼女に輪をかけて品のない、飲んだくれの父親アルフレッド(スタンリー・ホロウェイ)もまた面白い。彼の定番ソング「運が良けりゃ (With A Little Bit of Luck)」は、うまく訳したものだ。子供の頃からテレビで観ていたせいか、もはや原語で聞いても、サビの部分は「運がよけりゃ」としか聞こえない。

なぜヒギンズ教授に行くかね

本作を改めて観て不思議に思ったのは、イライザはなんでヒギンズ教授になびくかねえ、という点だ。教授は自分の手柄と虚栄心のために、イライザを厳しくしつけているだけではないか。

教授の屋敷に仕えるピアス夫人(モナ・ウォッシュボーン)たちが心配するほどに、イライザの人格を無視して熱血指導する、パワハラ男だ。

年齢差はあるが、教授と賭けをしたピカリング大佐(ウィルフリッド・ハイド=ホワイト)の方が、よほど紳士的だし、彼女に親切だし、思いやりがある。

どうせどちらも年上男性なら、ピカリング大佐に恋心を抱けばいいのにとお節介ながら思ってしまう。もっとも、大佐は既婚者かもしれないが。

レックス・ハリソンは本作で主演といってよい活躍だが、ヒギンズ教授の役同様、仕事でも自分が目立つことを何より気にする気難しい俳優だったという人物評を聞くと、やはり私ならピカリング大佐をイライザに薦めたくなる。